東大に合格するための格言として、過去に流行した言葉がありました。
「1に体力、2に時の運、3、4がなくて、5に学力」
自分が大学受験をしていた頃、この言葉の意味が分かりませんでした。
受かるんだったら、学力がなんで一番にならないの?と。
しかし今はよーくわかりますね。
この体力、というのは、集中力などを含めた、勉強を長く続けるためのもの、なんですよね。
健康を整えるように、体の状態を整える大事さ。
それを若いながらも分かっている人が、日本屈指の最高学府に入れるのでしょう。
あの頃から二倍くらいの年齢を取った今だからこそわかるのですが、年を取ってくると記憶力が衰えるのではありません。
集中力が衰えてくるんですよ。
視力が衰えたり、聴力が悪くなったりすると、外部から情報を得るのがしんどくなってきます。
だから勉強もはかどらなくなる。
それを眼鏡やスピーカーを使ったりして工夫したり、何度も読んだりして倍を時間をかけて勉強して。
昔は容易にできたのに、というジレンマを抱えながら。
疲れるのも早くなるので、昔は2時間集中を維持できたのに、今は1時間で疲れます。
そういうのでも衰えを感じたりして。
長く勉強を続けるのは、訓練が必要であると私は考えてます。
なので箸の持ち方はともかく、子供達には姿勢、鉛筆の持ち方だけは徹底して教えました。
学校に行くようになったら、それが崩れてきていますけどね……。もう知らない💦
それは、将来彼らが1日10時間以上勉強しなければなれない職業につきたいと思った時に必要になるからです。
結局は正しい姿勢、正しい鉛筆の持ち方が一番楽です。
長時間勉強する時に姿勢が悪いと、体が痛くなってきます。
ペンも手が痛くなって持てなくなります。
それを知っているから、最初から訓練しておけ、となりました。
お坊さんが瞑想する時にする結跏趺坐。
なんであんな格好してるんだろうと調べたことがあって、あれは安定した座り方で長時間できるからだとわかりました。
それと同じで、形が決まっているものは、何かしらの理由があるわけですからね。
学ぶのも大事だけれど、その環境を整えることも大事。その環境には自分の体の使い方を知る、というのも大事というのも忘れないでいたいです。
あの格言の意味に気づけなかった自分は、若さゆえの驕りってやつでしょうね。
それと、健康であることが当たり前すぎて。
いつか衰えるということを知ってはいても実感してはいなかった、あの頃が、なんか眩しく、そして遠く感じます……