ノンフィクションの侵害性~伝記(ノンフィクション)vs.会話を主体とする戯曲

 

▶平成13年12月20日京都地方裁判所[平成11(ワ)111]戯曲全体▶平成14年09月18日大阪高等裁判所[平成14(ネ)287]

(注)本件は,原告が,「本件戯曲」が原告の著作物の翻案であり,また,本件戯曲中の個々の翻訳が原告著作物中の翻訳の著作物の複製であるとして,本件戯曲の複製,出版又は頒布の停止を求めなどを求めた事案である。

(基本的事実関係)

〇 コルチャックは,1878年(1879年という説もある。)ワルシャワで生まれたユダヤ人である。医者,作家,教育者であり,恵まれない子供たちのためにワルシャワに孤児院を設立し,30年間子供たちと喜怒哀楽を共にした。第2次世界大戦によって,ポーランドはナチス・ドイツの占領下におかれ,コルチャック及び孤児らもゲットーに収容された。1年9か月の収容生活を経て,1942年8月,子供たちと共にトレブリンカ収容所のガス室で処刑された。この間,コルチャックは何回となく助けられる機会を与えられたが,子供たちを見捨てて自分1人だけ生き延びることはできないとして,これを拒んだ。

〇 原告は,コルチャックの研究者である。原告は,コルチャックの研究のため,昭和51年以降ドイツとポーランドに留学し,昭和56年コルチャックを日本に紹介し,昭和61年にはコルチャックの生涯を描いた「コルチャック小伝」で朝日ジャーナルノンフィクション賞を受賞したものであるが(甲1巻末「参考文献」),平成2年,コルチャックの感動の生涯と教育者としての実践を描いた著作「コルチャック先生」(以下「原告著作」という。)を創作し,著作権及び著作者人格権を取得した。そして,同年12月,原告著作を朝日新聞社から出版した(第1刷)。原告著作は,平成7年には朝日新聞社から朝日文庫としても出版されている。

 

1 争点(1)(本件戯曲は原告著作の翻案に当たるか,また,本件戯曲の個々の翻訳が原告著作の翻訳の複製権侵害に当たるか。)について

(略)

(4) 上記認定事実をもとに検討する。

ア 翻案性の判断について

言語の著作物の翻案は,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案に当たらない(最一小判平成13年6月28日,平成11年(受)第922号損害賠償等請求事件)。これを本件に即してみれば,①本件戯曲は原告著作に依拠しているか。②両著作において表現上の本質的な特徴に同一性があり,本件戯曲に接する者が原告著作の表現の本質的特徴を直接感得できるかを検討すべきであり,②の検討の際には,表現それ自体でない部分又は創作性のない部分における同一性にすぎないかに留意すべきということになる。

イ 両著作の特質,形式について

原告著作は,コルチャックの生涯を,その背景となる歴史的事実を織り交ぜながら記載するノンフィクションとしての伝記というべきものであるのに対し,本件戯曲は,冒頭でのカナリアのエピソードを除き,ドイツ軍がポーランドに侵入し,コルチャックとクロフマルナの子供達を含むユダヤ人がゲットーに収容された以降のことを中心とする会話を主体とする戯曲である。したがって,両者の外観,形式から,直ちにその依拠性をうかがうことはできない。

ウ 両著作の筋・構成及び人名・固有名詞等について

両著作には,筋・構成について類似している点がある。また,人名,固有名詞等について共通するものがあるのは「主要登場人物対照表」記載のとおりである。しかし,これらは「…アイデア,事実もしくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分」に該当するといえる上(もっとも,「ステファ夫人」の夫人の部分は表現上の問題といえるが),両著作ともにコルチャックという同一の歴史的背景をもった同一人物の生涯におけるできごとについての著作であることからすれば,上記の類似,共通点が直ちに本件戯曲の依拠性を基礎づけるものということはできない。

エ 両著作の題材,内容の表現について

上記認定事実(3)に照らせば,本件戯曲が原告著作に依拠し,それと同一ないしは同一性のある表現をしているとみられるのは,同(3)ア(イ)記載のエピソードと,同(3)エ記載の翻訳部分である(翻訳について本件戯曲が原告著作に依拠していることは実質的には争いがないといえる。)。

上記エピソードについては,分量も少ない上,「事実もしくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分」とみられるから,これを翻案性を基礎づけるものとすることはできない。しかし,上記翻訳部分についてみると,原告著作に含まれる対応部分は翻訳として上記のとおり表現上の創作性を有する部分であるところ,本件戯曲はこれとほぼ同一の表現を用いている。

しかし,他方,上記(3)記載のとおり,本件戯曲は,原告著作以外の著作等(特にリフトン著作)を参照したり,劇的効果の観点から表現や配置を工夫した結果,同一事件についても原告著作にみられない表現があり,また,原告著作にないエピソードを多数含むなど多くの相違点を有しており,これによって本件戯曲と原告著作の全体としての印象は相当異なるものとなっているといえる。特に,ザレツキーとじゃがいも事件を絡めて脚色したこと,コルチャックが「ハヌカのお話」をすること,コルチャックが差し入れられたパンを子供たちに分けずに食べてしまい,そのことで自ら子供たちの裁判にかけられたこと(なお,原告は「筋・構成対照表」において,これを事実無根ないしコルチャックの教育思想の歪曲である旨主張するが,依拠の有無ないし表現の同一性の判断をするに当たっては客観的対比によるべきもので,内容の真実性に立ち入る必要はない。)については,分量的にもまとまっていることから,この印象を助長し,短いながらも子供たちによるペレツの詩「同胞」の合唱や,コルチャックがダンツィヒ駅への最後の行進をピクニックと位置づけたことの独自の効果も無視できない。

もっとも,構成についてみるに,エステルを追悼するコルチャックの日記の配置は,原告著作に近い劇的効果を有するといえる。また,ドイツ将校が子供のころコルチャックの「ジャックの破産」を読んだことを思い出しコルチャックを助けようとするくだりは,印象が強く1つのクライマックスともいえるところであり,これを最終段階に配置したところは本件戯曲と原告著作に共通の劇的効果を与えるものといえる。しかし,前者は,時系列的に,そのような配置になることは自然であるといえるから,原告著作の創作性は否定される。また,後者のエピソードはネヴェルリイに由来するもので,被告Bは原告と異なりネヴェルリイには直接は当たっていないとみられるものの,Final Chapter にも記載があり(乙36,37の1),原告著作にのみ依拠してこれを選択したといえるかは疑問がある上,配置の点からいっても,その性質上コルチャックの生涯を描こうとすれば最終段階にせざるを得ないものであり,原告著作では並列的に記載されたコルチャックがトレブリンカ行きの列車に乗り込む前の4つのエピソードの1つである(4つのエピソードの最後とはいえ)のに対し,本件戯曲では時系列的にも最終段階に位置づけられている点で異なる。

以上によれば,本件戯曲と原告著作を全体として対比すると,原告著作における資料の取捨選択及び文章表現の工夫の結果としての創作的な表現の本質的な特徴と本件戯曲の劇的効果の観点から工夫された表現の間に同一性があるとはいえず,本件戯曲に接する者が原告著作の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるということはできないから,本件戯曲が原告著作の翻案であると認めるには未だ十分ではないといわざるを得ない。

 

[控訴審]

1 争点(1)(本件戯曲は控訴人著作の翻案に当たるか。また,本件戯曲中の個々の翻訳が控訴人著作中の翻訳の複製権侵害に当たるか。)について

(1) 本件戯曲の翻案性について

ア 言語の著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,ここに同一性を維持しつつ,直接感得することのできる表現上の本質的な特徴とは,創作性のある表現上の本質的な特徴をいい,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所平成13年6

月28日判決参照)。

(略)

ウ 以上のとおり,本件戯曲の各場面のうちには,コルチャックのゲットー日記や手紙及び詩等控訴人著作の翻訳部分の複製であると認められるものがあり,また,シーン15 ワルシャワ近郊「僕たちの家」の場面が,控訴人著作の翻案であると認められるが,その余の各場面については,いずれも控訴人著作の複製又は翻案であるとは認められず,上記複製ないし翻案とされる場面は,その本件戯曲において有している意味・効果を考慮すると,本件戯曲全体に占める重要性や分量が小さく,その余の各場面の占める重要性や分量の方が大きいから,本件戯曲全体が控訴人著作の複製又は翻案であるとすることはできない。

なお,控訴人は,本件戯曲のうち当裁判所が認めた箇所以外にも控訴人著作の翻案部分が存在する旨を,陳述書においてるる指摘するが,いずれも当該部分に関する翻案性を否定した前記認定・判断を左右するものではない。

【より詳しい情報→】http://www.kls-law.org/