「最近の人生は完璧だったが、俺は自分で問題を見つけちゃった人間だから、楽しめないけどさ」と柔らかな声で言った。このことを言ったのは、ダーレンロードズ氏であった。大学時代の私は、何回もダーレン氏の教室の一番前に座り、聴講させてもらった。彼はヨガの教員である。ヨガは何かよく分かっている人は世界中に多いかもしれない。体の健康を保つため、インドの伝統的なスポーツ通して知られている。大学生の頃、ヨガ自体に夢中になったが、今は心の中に残っているのはダーレン氏自身である。先に述べた「俺は自分で問題を見つけちゃった人間だ」という素直な話を聞いたのは、初めてだったからである。

 

 この私にとって、人生は大変である。子供の頃はずっと熱血児であったし、言いすぎた結果、トラブルが起きた事件がたくさんあった。だから、先生に白い目で見られている間、同級生も感情に動かされやすい私の事を簡単に馬鹿にすることができた。「あなたは頭がいい」と言う先生がいても、学業に秀でていなかった私は、自信を待たずに人生を生きるしか他の道はないと思っていた。人間関係、成績等、この人生で何も成功できるものはないという考え方に従った結果、悪循環になった。結局、怒り、恨み等のような感情しか何も感じられなかった。大人の目で、子供の頃を振り返ると、そのようなトラブルは手本がないことと関係があると認識できる。父と母はやさしく頑張って育児をしてくれたと認識しても、実際にこの二人の性格と合わないので、手本として役割を果たせなかった。親は死ぬまで私の立場が分からないと言うこととができるかもしれない。

 

 高校卒業後に、他の都市に引っ越し、大学に入学した。上に述べた悪循環に陥っていた私は、あまり人と仲良くせず、大学生人生にとっての恋愛等大事な側面は、すべて失敗した。その結果、同じ大学にいる故郷の友人以外誰とも知り合わなかった。しかし、私の社会性は乏しいに違いないが、実際に、運動を通して、いくらか幸せになれた。大学一年生から、朝5時か6時に起き、ジム、公園等で夢中に運動することにしていた。だが、3年生の頃、ジムで肉トレしながら腰を痛めてしまったので、初めてヨガを試みてみた。

 

 ダーレン氏はヨガの方法をマスターしたどころではない。。体はどんなポーズでも取られ、具現的な自由は何か、私は初めて知らされた。ヨガの稽古を担当しながら、この人生をどうやって生きるかに関わる教えも織り込んだ。自分の心と体は一生のものなので、自分の体と仲良くしたら、人間は自分の知覚の仕方も変えられるということを教えてもらった。しかし、ダーレン氏からの一番大切な教えは、先に述べた「自由」ということであった。先ほど書いたように、ダーレン氏は体と仲良くすることを通して、つまり体を尊敬することを通して、自分自身も尊敬することになると言った。これはこの人生で本当の自由の意味である。すなわち、自分の体は今のままの体しかないので、そのままの体でヨガのポースを取ることを通して、自分自身が自由に表現できて良い。このように、本論文の冒頭の「俺は自分で問題を見つけちゃった人間だから」というダーレン氏の言葉は、彼の自由の表現である。なぜならば、心と体は区別できるものではなく、むしろ、感情と体の身構え等は大体同じものである。故に、もし今のままの体で何かヨガのポーズを取れば良いなら、自分の今のままの感情を表現しても良いのである。それは自由という意味である。

 

 以来9年間、ダーレン氏に一度も会ったことはない。だが、彼の教えは長く残っており、死ぬまで残るかもしれない。彼に会ったことを通して、自分の人生は完全に変わった。社会性はなくても、成功しなくても、悪循環に陥っても大丈夫だとうことを認識できたら、遠慮なく自分らしくなる可能性がある。そうすると、幸せになれる。ダーレン氏と会えてありがたいとしか言えないのである。