長男、今春で小学4年生になりました。

三兄弟のいちばん上だからなのか、
父親が頼りないから仕方なくなのか、

それとも私が子供というより
ひとりの人間として接している
傾向が強いからなのか…

彼はなんだか周りの同級生より
少し大人びているように思います。

子供同士で遊んでるときは
別にそうでもないのですけどね。

勿論、ふつうに喧嘩もするし
ふざけたりもする。

個人面談でも先生からは
「長男くんに関しては、
問題視するところは特にないですね。
学習面でも生活面でも、
今後ともリーダーシップを取って
大いに活躍して欲しい。」とか、
割といいことばかり言われます。

で、何が言いたいかって
別に親馬鹿全開で息子の自慢話が
したくて書いてる訳ではありません。

実はちょっと最近、
色々と考えてしまうことが
ありまして…

近所のママ友から長男について
こんなことを言われました。


「あまりにも良い子すぎて可哀想。」

「子供らしくないからどう接して
いいのかたまに分からない。」


友人の言ってるこの言葉が
何を意味するのかわからなくて、
ちょっと真剣に悩んでしまいました。


可哀想って何が?


確かにあらゆる場面で私の
期待に応えようとしてくれている
長男の態度は伺えます。


「僕はママの役に立ちたい。」
「ママを困らせるひとは嫌いだ。」


ふいにそんな言葉を口にしたり
することもたまにあったり。

私は長男のそういう気持ちをいつも
素直にありがたいと思っていたし、

その気持ちに応えることで私たち
親子の関係は成り立ってるとも思います。

でもそのことでもしも歪みが生じ、
私の知らないところであの子が
周りに迷惑をかけるようなことが
今後起こりうるとしたら、
それは確実に私のせいです。

やっぱり子供は子供らしく、
育てるべきなのかなぁ…と。

思い返せば私自身の幼少期も
母親は割と能天気なのに対し、
父親は寡黙で厳格な性格だった為に
母はよく父を怒らせていました。

でも天然な母は自分のせいで
父が怒っていることに気付けない
というか気にしない。

母の悪気はないけど
空気を読まない発言で、
父の機嫌が悪くなるのを
私はいつも恐れていました。

そういう光景を間近で見てると、
子供である私の感受性がどんどん
研ぎ澄まされていくわけです。

息子の場合も親の不仲から
何かしらの影響を受け、
小さいながらも色んなことを
考えていることには違いありません。

でもそれってあながち
悪いことばかりでもないような…

だって良くも悪くも
環境は人をつくるから。

空気を読んだり
言葉を選んだりすることは
そんな家庭環境だからこそ、
学べたりすることもあるはずです。


先日、小学校の開校式がありました。

ずっと通っていた小学校が
昨年度末で閉校し
今春から小中一貫校として
新たに開校したのですが、

そんな記念すべき式典で
長男は学年代表として壇上に立ち、
全校生徒の前でお祝いの言葉を
述べるという大役を仰せつかりました。

そんなに成績がズバ抜けて
良い訳でもないのに、
こういうことにちゃっかり
選ばれるところがまた何とも言えず。

でも、正々堂々と祝辞を述べる
息子の姿を見ていたら、
今まで大変だったこととか
ひとりで辛かったこととか、
いっぱい色んなこと思い出して
泣きそうになりました。

そして一気に心が晴れました。

可哀想とか言われて、
私は自分の子育てを否定されてる
気持ちにすらなっていたけど、
友人から指摘をしてもらったことは
決して悲観的には受け止めず、
息子との接し方については考え過ぎず
これからも自分の思う通りに
やっていこうという結論に達しました。

きっとこれからも、
もっともっと色んなことが
あるんだろうな。


子育ての悩みは尽きませんね。