悔しいときこそ歯を食いしばり前を向いて歩くのさ!
南国のレモンちん地方に大雪が降った前の晩、父が倒れた
前兆はあった
それは全国的に急に寒くなった二日ほど前からだった
眩暈がするからと布団から起きてこなかった
ニュースでは寒波の影響で日本全体が冷え込んでいると言ってた
さらに倒れた当日は具合の悪い老人は特に体調が急変したりするから
気を付けるようにと言っていた
病院に行くように言ってたのだが行ってなかった
土曜日で人が多いからと言うのが理由だった
それにだいぶよくなったからとも
だからいつもより遅い晩飯だったが準備して食べさせた
焼酎も一杯だけだったが飲ませた
温まってよく眠れるだろうと思ったからだが結果的にはこれが良く無かった
自分の分を準備してる時に背後で大きな音がした
振り返ると父が倒れていた
最初はふらついて倒れたのかと思ったのだが様子がおかしかった
迷わず救急車を呼んだ
まだ雪は降ってなかった
救急車を送り出してからバイクで搬送先の病院に行った
色々と検査をした後暫く入院することになった
脳溢血や心筋梗塞は否定されたが倒れた直接的な原因はこの時点では
特定できなかった
翌朝大雪が降っていた
雪降る中病院側が提示した入院グッズを手に歩いて向かった
父を見舞い先生と話した
検査結果の資料を見ながら先生が一週間ほど入院させましょうと言った
この時も倒れた直接的な原因は不明だった
ただ、心臓が肥大してるレントゲン写真と
肺に少し影がある写真をモニター越しに見せられた
さらにCTスキャンの画像を見せられたのだが
これには正直愕然となった
ここ数年素人目にも認知症が進行して来てるなと漠然と感じていたのだが
父の前頭葉はかなり萎縮してた
とくに記憶をつかさどる部分?が極端に凹んでいた(この表現が良いのか悪いのか
判らないがCT画像を見せられた時の正直な感想です)
倒れた日と翌日と父との会話は要領を得なかった
はっきり言って会話にならなかった
倒れる直前まで普通に会話できてたと思ったがあれももしかしたら錯覚だったのか?
入院して3日目、少し良くなってきたように見えた
この分だと予定通りの入院期間で退院できる?と思ったが・・・。
4日目5日目と見舞いに行く度に明らかに認知の症状が進んで行く父を見て
大きな不安を私は抱いた
果たして家に連れ帰れるだろうかと
当初一週間と予定してたが先生と相談してギリギリまで入院させる事にした
倒れてから約2週間の入院・・・。救急病院なのでこれがギリギリの入院期間だとの事
それでこの頃に倒れた要因は脱水症状によるものだったのではないかとの見解がでた
2日間寝込んだ時に飲まず食わずで(食事はしてたはずだが)
十分な水分補給が出来ていなかった所に
アルコールの接種がそれに拍車をかけて倒れたと
また持病の喘息?(後に肺炎?)も影響したんじゃないかと
言われてみて確かに水分を取るようにと枕元に置いていたペットボトルのお茶も
飲んでいなかった気がする
退院は土曜日と決めてあった
退院が近づいた水曜日に見舞いに行くと父の様子がかなりおかしくなっていた
前日までは幾らかの会話と意思の疎通はできてたのだが
その日はまるで会話にならなかった
見えない者を語りありもしない予定を口走るのだ
それはまだ父が現役で仕事をしてたときの記憶の再現だった
ここは病院で入院してること
仕事はずっと昔に辞めたこと
打ち合わせに誰も病院を訪れてないことなどを
子供に言い聞かせるかのように話すのだがまるっきり判って貰えなかった
木曜日の夜に携帯が鳴った
入院してから何度か看護師から携帯に電話が掛かって来てたので
「また暴れた?」と思いながら電話にでた するととても焦った声が聞こえて来た
「お父様が危ない状態です 直ぐに病院に来てください 今心臓マッサージをしてます」
時計を見ると21時30分だった
病院に歩いて向かいながら(お酒を飲んでた 病院は近いのでタクシーの距離では無い)
暗く寒い夜道を私は歯をくいしばり俯きながら歩いていた そして
母親も入院中に入院することになった要因とは別の要因で急死した事を思い出していた
父も病院で死ぬのか?あと2日で退院の予定なのに?
心肺停止?どうして?
集中治療室に入ると機械で呼吸してる父の姿があった
マッサージでとりあえず動きだした心臓・・・波形があきらかにみだれてる
自発呼吸もしてない・・・。
誤嚥による窒息だった
そのまま朝まで父を見守った
そして金曜日の16時22分帰らぬ人となった
いつの頃からだろう?
誰も父に会いに来なくなった
電話一本かけてこない身内に私は正直腹が立っていた
だからと言ってこちらからする事もしなかった
正直生活は苦しく幾ばくかの援助があればと思ったが
あの日まで口にしなかった
だから絶対に何があっても自分ひとりでやってやるとずっと思ってた
死んでも電話なんかするもんかと・・・。
だけど予想外だった
死ぬなんて思ってもいなかったから
何も準備出来て無かった
老老介護の不安を抱えながらこの先も生きていかなければならないと覚悟はしてた
犬も猫もいるけどなんとかなるかなと漠然と思ってた
だけどこの突然の出来事はもう一人ではどうにも対処できなかった
くやしかった
電話なんか死んでもしたくなかった
ここまでひとりでやって来たのにと思うと涙が出て来た
向こうからはかかってこない電話番号を見つめては何度となく押すのをためらった
そして砕けてしまうんじゃないかと思うほど奥歯をかみしめ歯ぎしりをしながらボタンを押した
私は馬鹿だから
相手を思いやる気持ちや優しさはずっと永遠に変わらないと信じていた
ちょっと問題の多かった父では有ったがここまで疎遠にされるなんて思ってもみなかった
姉弟ともに仲良くずっと居られて何かあれば助け合っていけると信じて疑わなかった
実際 私はそうして今まで生きて来たつもりだった
そう そのつもりだったのだがひとりよがりの妄想だったようで
現実はそんなに甘くは無かったです
葬儀はとどこおりなく終わり
私はちょっと前に起こった事を苦々しく反芻しながらこれを書いてます
結果的には身内に電話で知らせて身内のしきりで済ませました
どうしてもそれらに掛かる費用を工面できなかったからです
ほんとうにくやしくて くやしくて
誰にも泣き顔や涙は見せたくないのに
そう思えば思うほど悲しみと怒りと涙がこみ上げてきて
止まりませんでした
前兆はあった
それは全国的に急に寒くなった二日ほど前からだった
眩暈がするからと布団から起きてこなかった
ニュースでは寒波の影響で日本全体が冷え込んでいると言ってた
さらに倒れた当日は具合の悪い老人は特に体調が急変したりするから
気を付けるようにと言っていた
病院に行くように言ってたのだが行ってなかった
土曜日で人が多いからと言うのが理由だった
それにだいぶよくなったからとも
だからいつもより遅い晩飯だったが準備して食べさせた
焼酎も一杯だけだったが飲ませた
温まってよく眠れるだろうと思ったからだが結果的にはこれが良く無かった
自分の分を準備してる時に背後で大きな音がした
振り返ると父が倒れていた
最初はふらついて倒れたのかと思ったのだが様子がおかしかった
迷わず救急車を呼んだ
まだ雪は降ってなかった
救急車を送り出してからバイクで搬送先の病院に行った
色々と検査をした後暫く入院することになった
脳溢血や心筋梗塞は否定されたが倒れた直接的な原因はこの時点では
特定できなかった
翌朝大雪が降っていた
雪降る中病院側が提示した入院グッズを手に歩いて向かった
父を見舞い先生と話した
検査結果の資料を見ながら先生が一週間ほど入院させましょうと言った
この時も倒れた直接的な原因は不明だった
ただ、心臓が肥大してるレントゲン写真と
肺に少し影がある写真をモニター越しに見せられた
さらにCTスキャンの画像を見せられたのだが
これには正直愕然となった
ここ数年素人目にも認知症が進行して来てるなと漠然と感じていたのだが
父の前頭葉はかなり萎縮してた
とくに記憶をつかさどる部分?が極端に凹んでいた(この表現が良いのか悪いのか
判らないがCT画像を見せられた時の正直な感想です)
倒れた日と翌日と父との会話は要領を得なかった
はっきり言って会話にならなかった
倒れる直前まで普通に会話できてたと思ったがあれももしかしたら錯覚だったのか?
入院して3日目、少し良くなってきたように見えた
この分だと予定通りの入院期間で退院できる?と思ったが・・・。
4日目5日目と見舞いに行く度に明らかに認知の症状が進んで行く父を見て
大きな不安を私は抱いた
果たして家に連れ帰れるだろうかと
当初一週間と予定してたが先生と相談してギリギリまで入院させる事にした
倒れてから約2週間の入院・・・。救急病院なのでこれがギリギリの入院期間だとの事
それでこの頃に倒れた要因は脱水症状によるものだったのではないかとの見解がでた
2日間寝込んだ時に飲まず食わずで(食事はしてたはずだが)
十分な水分補給が出来ていなかった所に
アルコールの接種がそれに拍車をかけて倒れたと
また持病の喘息?(後に肺炎?)も影響したんじゃないかと
言われてみて確かに水分を取るようにと枕元に置いていたペットボトルのお茶も
飲んでいなかった気がする
退院は土曜日と決めてあった
退院が近づいた水曜日に見舞いに行くと父の様子がかなりおかしくなっていた
前日までは幾らかの会話と意思の疎通はできてたのだが
その日はまるで会話にならなかった
見えない者を語りありもしない予定を口走るのだ
それはまだ父が現役で仕事をしてたときの記憶の再現だった
ここは病院で入院してること
仕事はずっと昔に辞めたこと
打ち合わせに誰も病院を訪れてないことなどを
子供に言い聞かせるかのように話すのだがまるっきり判って貰えなかった
木曜日の夜に携帯が鳴った
入院してから何度か看護師から携帯に電話が掛かって来てたので
「また暴れた?」と思いながら電話にでた するととても焦った声が聞こえて来た
「お父様が危ない状態です 直ぐに病院に来てください 今心臓マッサージをしてます」
時計を見ると21時30分だった
病院に歩いて向かいながら(お酒を飲んでた 病院は近いのでタクシーの距離では無い)
暗く寒い夜道を私は歯をくいしばり俯きながら歩いていた そして
母親も入院中に入院することになった要因とは別の要因で急死した事を思い出していた
父も病院で死ぬのか?あと2日で退院の予定なのに?
心肺停止?どうして?
集中治療室に入ると機械で呼吸してる父の姿があった
マッサージでとりあえず動きだした心臓・・・波形があきらかにみだれてる
自発呼吸もしてない・・・。
誤嚥による窒息だった
そのまま朝まで父を見守った
そして金曜日の16時22分帰らぬ人となった
いつの頃からだろう?
誰も父に会いに来なくなった
電話一本かけてこない身内に私は正直腹が立っていた
だからと言ってこちらからする事もしなかった
正直生活は苦しく幾ばくかの援助があればと思ったが
あの日まで口にしなかった
だから絶対に何があっても自分ひとりでやってやるとずっと思ってた
死んでも電話なんかするもんかと・・・。
だけど予想外だった
死ぬなんて思ってもいなかったから
何も準備出来て無かった
老老介護の不安を抱えながらこの先も生きていかなければならないと覚悟はしてた
犬も猫もいるけどなんとかなるかなと漠然と思ってた
だけどこの突然の出来事はもう一人ではどうにも対処できなかった
くやしかった
電話なんか死んでもしたくなかった
ここまでひとりでやって来たのにと思うと涙が出て来た
向こうからはかかってこない電話番号を見つめては何度となく押すのをためらった
そして砕けてしまうんじゃないかと思うほど奥歯をかみしめ歯ぎしりをしながらボタンを押した
私は馬鹿だから
相手を思いやる気持ちや優しさはずっと永遠に変わらないと信じていた
ちょっと問題の多かった父では有ったがここまで疎遠にされるなんて思ってもみなかった
姉弟ともに仲良くずっと居られて何かあれば助け合っていけると信じて疑わなかった
実際 私はそうして今まで生きて来たつもりだった
そう そのつもりだったのだがひとりよがりの妄想だったようで
現実はそんなに甘くは無かったです
葬儀はとどこおりなく終わり
私はちょっと前に起こった事を苦々しく反芻しながらこれを書いてます
結果的には身内に電話で知らせて身内のしきりで済ませました
どうしてもそれらに掛かる費用を工面できなかったからです
ほんとうにくやしくて くやしくて
誰にも泣き顔や涙は見せたくないのに
そう思えば思うほど悲しみと怒りと涙がこみ上げてきて
止まりませんでした