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嫌いなことば
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「マナー」という言葉が大嫌いです。
相手に対する気遣いとか、生活の便利な智慧とか、そういうもののことなんだろうけれど、
同じ内容なのに、この言葉になると、ルール化して、人を苦しめるものになってるから。
人が人を裁く原因にもなっていると思う。
マナーを知らないだけで、人から見下されることもある。
現実に見下す人はいる。その人にだって、そのマナーを知らない時代があったはずなのにと思う。
とにかく嫌な言葉だ……
マナー講師、西出博子さんは、コラムで
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と仰っていらっしゃるけれど、ここまでマナーという言葉のネガディブな意味が広がっていると、覆すのはかなり厳しいと思う。
っていうか、すでに「マナー」という言葉の音じだいがすでに強制感をかもし出している気がする。
英国での音はそんなことないのかもしれませんが、日本語となった、マナーという言葉は、低い波動を放つ言葉なのかもしれないと私は思う。
試しに並べてみよう。
マナー
Manners
カタカナのマナーは、見た目だけでもかなりキツイ感じガする。
英語のマナー「Manners」にここまでの、押し付け感はない。
カタカナがいけないんだろうなあと思う。
正直、日本語でカタカナになっている限り、日本ではマナーなんて言葉は、廃止した方がいいと思う。
日本語で言った方がいいと思う。
テーブルマナー ⇒ 食卓は合理的に進めるために決められたルール、及び手段。
(西洋のテーブルマナーでは、食べ途中だったら、フォークをお皿にハの字型に起き、終わったら揃えておくということになっているけど、それは、ウェイトレスさんへの合図として、そういうふうに決められているだけだと思うから)
マナーとは
「相手の立場にたって、物事を考え、行動すること」。
と、西出博子さんのコラムには書いてあるけれど、マナーができなくて苦しむ人がいるならば、
断片的なマナーを知って押し付ける人がいる限り、
その人たちのために、マナーなんてものは広めてはならないと思う。
正確に言うと、「マナー」という言葉を使用して、心配りのを智慧の形を広めてはならないと思う。
マナーという言葉を使用して、広めるということは、苦しむひとたちの立場に立ってない、そういうことでなのかなと思う。
と、いうわけで、マナーという言葉を嫌うとともに、
心配りの形をマナーというものにカテゴライズして、マナーという言葉を使用して、広める人たちに対して矛盾を感じるのである。