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what a wonderful life!

多様な価値観に関する考察。

今までで1番夢中になったこと ブログネタ:今までで1番夢中になったこと 参加中


 俺は、今まで様々なものにハマってきた。
 俺は、熱しやすく冷めやすいから、それなりにハマるとある程度の地点までとことんやり込む。先が見えると冷めてパタりとやめてしまうのである。

 少年時代は、漫画やテレビゲームにハマり、学生時代は、カクテル、ビリヤード、香港映画、ギターにハマった。時効だが、競馬やパチンコもそれなりにハマった。
 酒やギャンブルを嗜んでこそ男だと偏りのある妙な価値観があった。

 社会人になってからは、アンティークやJAZZ、コーヒーにハマった。
 
 どれも決して誰にも負けないというほどではないのだが、ある程度深く入り込むため、ある程度のレベルまで到達しているとは思う。
 
 ただ、残念ながら、一生を通じたものはまだ見つかっていない。
 たとえて言うならば、「嫁を質に入れてでも投資するぞ」というほど夢中になれるものは何もない。
 
 おそらく、俺は仕事に恵まれていたというか、自分がしたい仕事をやってきたから、今の仕事が一番夢中になっているものだと思う。

 なかなか、自分のしたい仕事ができている人は少ないと思うので、こんな風に思えるのは幸せなのだろう。


 昔から俺は、事実を材料として、何かを予測、推理し、それを証明するために調査をし、新しい事実を判明させることは好きだったのだろう。


 プロの人なら、皆なんとなく実感していると思うが、

 論理学で、帰納法、演繹法を学習したとは思うが、俺は、プロとアマチュアの違いは、その二つを使うことではないと考えている。演繹法、帰納法はコツさえつかめば、誰にでもできる思考方法の基礎だからだ。

 
 それよりも、俺は今までの経験から、プロはアブダクションができるか、できないかにかかっていると思う。
 
 アブダクションは、誰にでもできることではない。いわばセンスだ。
 
 俺なりに理解している簡単な言い方で表現すると、アブダクションとは、「ある一つの仮定が正しいとすると、他の事象のつじつまが全て合う」と思考を始める方法である。

 そして、その「ある一つの仮定」は、初めから用意されてはいない。もちろん、予測推理だから、正しいとは限らないのだが、シャーロックホームズと同じように、アブダクションと消去法を組み合わせることによって、多くの人が気が付かない真実まで到達するための証拠を揃えていくのである。

 また、「ある一つの仮定」が浮かぶか浮かばないかで、事実を判明させるまでの速さやその順序が変わってくる。

 だからこそ俺は、アブダクションに基づいた調査から多くの人が気が付かない真実を判明させた時のアドレナリンの分泌量は尋常ではない。
 
 俺の全てのプライドが満たされる瞬間だ。

 誰にもできることはつまらない。誰にもできないと思えることを成し得た時に意義を感じるのである。


 もっとも、プライベートでアブダクションに基づいた思考を行ってしまい、やがて真実が見えて、知りたくもないことを知ってしまった時は、本当に自分のセンスというか、職業病というか、その哀しい運命を呪ってしまうのだが。

 

 昔、俺の母親だった人間は、真実をつかんだ俺を「スパイ」と呼んだ。
 だが、今でもそれを何度も反復してしまっている。


 嘘のない、純粋な人間などどこにもいないとわかっているはずなのに。


 きっと、仕事以外の俺は、何もかも真実を明らかにしようとよりも、わからないことだらけで、もっとボーッとしていた方が楽なのだろうね。





捨てられずにためてしまうものは? ブログネタ:捨てられずにためてしまうものは? 参加中


 またまた色気のない話(笑)

 最近、実感することなのだが、人間とは不思議なもので、認知を変えることによって、気分や行動の変容をもたらすことは非常に有効な手段である。

 一時期、部屋を劇的にきれいに変えるといった類の本が流行したようだが、そのいくつかの本を斜め読みしてみると、どうも部屋を綺麗にする斬新なテクニックや道具が記載されているのではなく、どうも従来の考え方を変えさせるものが多かった。

 その極意は捨てることにあるという。確かに捨てるのが上手な人は、確かに次の行動までが早く成功しやすいタイプかもしれない。

 人は不要な物を捨てなければならないのだが、なかなか捨てられないからどんどん物が溜まってしまう。だから、捨てると判断する基準を変えることにより、物を捨て減らすことにより、スペースを確保する考え方である。

 まさに認知の変容による行動変容である。

 たとえば、1年間使わなかったものは、自分にとっていらないものと判断する。判断が決まれば、行動ができるのである。


 もしも、その方法に俺が従ったら、俺の家の本棚の本はほとんど捨てる羽目になってしまう。
 確かに本をスキャンしてデータとして保存しておけば、スペースが広がることは理解できる。だが、俺は、本は本として手元に取っておきたいのである。
 だって、本の中には本を買った時の気持ちや読んだ時の思いが込められていることもあるでしょう。ゆったりとページをめくり、またページをめくるのがいいんじゃないか。データには色気がない。
 こんな発言をするから、ロマンチストなどと言われてしまうのだが(笑)


 物と同じように、カウンセリングの分野では、過去のトラウマや失敗に関して、認知の歪みを矯正することによって、気分を改善させることが行われている。

 過去の苦しみやトラウマによるフラッシュバックで苦しむ人は多いが、これを自然に改善するには、時間の経過を経なければなかなか難しい。

 それをカウンセリングをしていきながら歪みを発見し、認知を変えることによって、気分や行動を変えるのである。物ではないから、認知を変えることは、とても難しいけどね。

 例えば、思い悩む人の多くは、自分を責めている。
 
 いじめられる人は、いじめられる自分に原因があると考える。
 ドメスティックバイオレンスやストーカーの被害者は、殴られたり、付きまとわれたりする自分が悪いのだと思う人が多い。
 騙された人は、騙された自分が悪いのだと思ってしまう人が多い。
 
 第三者から見れば、非常に簡単なことだ。
 いじめられて当然な人など存在しない。
 暴力や付きまといをする奴が悪いに決まっているし、騙す人間が悪いに決まっている。

 でも、皆自分自身のことになるとうまくいかないようである。
 俺自身も今、毎晩自分の不甲斐なさや弱さを責めてしまい、正直とても苦しい思いをしている。

 物も思い出も、残しておくから歩み出すのが遅くなるのかもしれない。
 いっそすっきりと何も無くなってしまえばすっきりするのだろうか。
 
 だが、カウンセラーはセルフカウンセリングができないから、自分で認知を変えるのが難しいから、しばらくは時間がかかることを覚悟している。

 
 俺が、穏やかで、優しさに溢れたプライベートを過ごせるのはいつになるのだろうか。





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甘い、辛いどっちが好き? ブログネタ:甘い、辛いどっちが好き? 参加中

私は甘い派!



 昔、俺は、ファーストフードが大好きだった。
 大学生時代は、夜中にファミリーレストランで親友と語り合うことなどしょっちゅうだった。
当然のことなのかもしれないが、年齢を重ねた今では、食べ物が何でも良いわけではなかった。
たとえば、夜中のラーメンである。食べた時には大変美味しいと思うのだが、ほとんど翌日にしっぺ返しを食らう。胃がもたれるのである。

 それと同じように味覚の好みも変わってしまった。

 元来、俺は食いしん坊だから(今も美味しいものは食べたいけれど)辛いものも甘いものもどちらも好きだった。
ところが、今ではどちらも腹にくるので、控えなければならなくなった。

 甘いものは脂肪となってすぐに腹に出るようになり、辛いものは翌日胃が痛くなるようになってしまったのである。

 今でもカレーやケーキは好きだから、困ったものである。本当はデートでもたくさん食べたいのだが、後から苦しむ羽目になるので控えなければならないのが辛いね。


 年齢は、そういった体質だけではなく、同じように心も弱くなってしまったようだ。

 たとえば、感動ものの映画を見るとすぐに涙が出てしまうといった感じだ。

 甘すぎる思い、辛すぎる思い。
 昔は、甘々で身も心も溶けて私生活にまで影響を及ぼす恋愛も何日続いても平気だったし、浮気をされて苦しさに寝込んでも相手の幸せのためなら仕方がないと思えた。


 ところが心がすっかりもろくなってしまったようで、最近ではどんなに愛情を欲しがってもちゃんと仕事を重んじるようになったし、浮気をされると苦しくて耐えられなくなってしまった。


 大人になると、強くなると思っていたけれど、年齢を重ねるにしたがって、ますます素直になっていくことを実感する。


 だからこそ、せめて今夜だけは願いたい。


 俺に愛情を注いでくれたあなたにたくさんの笑顔と幸せがありますよう。



 どうも、最近は涙腺が弱くなってしまったようでダメだね。

 いくつになっても、全然素敵な大人になれないんだな。




甘い、辛い、どっちが好き?
  • 甘い
  • 辛い

気になる投票結果は!?

朝、なに飲む? ブログネタ:朝、なに飲む? 参加中


 最近、ホテルで朝食をゆっくり摂ったのだが、なぜホテルの朝食はあんなにも美味しく感じるのだろうといつも思う。
 そして、そう感じている人は、俺以外にもいるのだろうか。
 
 ポイントなのは、実際に料理が美味しいのではなく、美味しく感じる点にある。ついいつもより多く食べ過ぎてしまった。

 しかい、俺がその日実際に食べたものは、決して立派なものではなかった。
 
 トーストやサラダ、スクランブルエッグにヨーグルト、ウィンナーソーセージやベーコン、それにミルクといったものだ。

 最近は、少ない休暇に運動をするだけで、あとは食事を制限するダイエットしかできないから、朝食はミルクにプロテインを入れたものだけである。
 牛乳は体にいいことはわかっているが、そんなに美味しいものではないので、これはこれでいいことなんだろうなとは思うが、実につまらない食事だ。

 古い映画になるが「ロボコップ」を御存じだろうか。ロボコップには人間の細胞部分があるから、ベビーフードのような練られた変な飲み物を食事として摂る必要があるのだが、俺はいつもプロテインを飲む時にあのシーンを思い出す。つまりは、非人間的な作業なのだろうね。

 俺は、ホテルの朝食が美味しいのは、非日常の時間が流れるからだと考えている。
 早起きをして、身支度をして、朝食をゆったりと摂り、コーヒーを飲む。

 実に優雅な心持ちになる。

 だから、もしホテルの朝食が美味しいと思わない人がいたら、俺は羨ましい。きっと普段からきちんと意識して朝食の時間をまともに過ごしているのだろう。

 俺にもそんなゆっくりとした朝を過ごし、トーストをかじったり、和食をしっかり摂る日が来るのだろうか。

 乾いた日常の反復は、人生を乾いたものにしてしまう。そういった時に訪れた非日常の時間は人生に潤いをもたらす。

 行ったことのない場所に行ったり、話したことのない人と話したり、デートのドキドキで普段感じない感情を抱いたり。
 

 だから、そういう非日常的な時間を意識的に持つことって人間にとって大切なことなのだろうね。





肉料理と魚料理どっちが好き? ブログネタ:肉料理と魚料理どっちが好き? 参加中

私は魚料理派!



 俺は、焼肉は嫌いではないし、東京にはステーキを出すお店が多いから、たまにステーキを食べたくなる日もあるのだが、少しずつ魚を食べたいと思うことが多くなった。

 もしも、毎日食べるのなら、肉より魚が食べたい。
 特にこれからの時期は、秋刀魚が食べたくなるね。さすがに七輪で焼くほど凝り性ではないけれど。
 
 もっと年齢を重ねたら、俺の体も肉料理を拒絶するようになるんだろうか。

 そういえば、なぜ年齢を重ねると、肉より魚になるのか、はっきりと説明ができないことに気が付いた。なんとなく、肉が脂っこくもたれる印象はあるが、魚だって脂はあるよな。
 もし、その事情に詳しい人がいたらお馬鹿な俺にこっそり教えてください。


 そして、年齢を重ねると味の濃いものより、薄味を好むようになる。
 
 味の濃いものをたくさん食べると、すぐに内蔵がもたれるようになってしまった。
 最も好きな食べ物であった天丼でさえも。


 関係ないが、食べ物と愛情は別なのには参ってしまうね。
 愛情だけはまだまだ大人になりきれていないようで、どれだけもらっても、決してもたれることはない。欲がつきない。

 無償の愛、見返りを求めない愛。
 
 本当は愛情も、慈しみと思いやりを与えるだけで満足できるようになっていけばどんなに素晴らしいだろう。

 いつまでも肉は食べられる体でいたいが、そういうところだけは早く余裕のある大人の男になりたいものだね。

 想えるだけで幸せなことに気が付くのは、常に全てが通り過ぎてからなんだろうね。





肉料理と魚料理どっちが好き?
  • 肉料理
  • 魚料理

気になる投票結果は!?

終わってしまった。


本当に愛しいものを自分から手放してしまった。



想われたのかわからないが、自分の想った気持ちさえも否定してしまった。


俺は自分の苦しみから逃れたかったのだろう。



伝える機会はもうないけれど、

本当にたくさんの幸せをありがとう。
踊れる? ブログネタ:踊れる? 参加中


 またまた妄想全開な話。

 いつも真面目な話ばかりだから、たまにはね。
 
 中学校のカリキュラムにダンスが必修化になったそうで、どんなことをやるんだろうと気になったので、調べてみた。
 フォークダンスや創作ダンス、ロックやヒップホップのダンスもやるみたいで、楽しそうだな。
 ただ、みんなダンスをやりたいとは限らないから、楽しさを伝える側の先生は勉強が大変だろうけどね。

 まぁ、俺が少しだけ期待して結果としてやっぱりなとがっかりしたのが、カリキュラムの中にワルツ、タンゴ、サンバなどのダンスがなかったことである。

 社交ダンスは、一時期、映画「Shall we dance?」や、テレビのバラエティ番組で社交ダンスを頑張って練習して、大会に出場しようという企画があったので、一時的にまた流行の兆しが見えたが、やはりそれも終わったようだ。

 社交ダンスは、日本人の気質には合わないのだろうか。
 
 日本人は恥じらいというか照れのような感情が強いから、社交ダンスというと、きっと気取った敷居の高いものだと思われて気恥ずかしいのだろう。

 もし、ダンスの必修化によって、社交ダンスをたしなむことが普通になれば、きっと素敵なことだったのになぁ。

 ところで、ある日、後輩に

「道端でナンパされている貴婦人をさっそうと助けたいんだが。」

と言ったら
 
「何言ってるんですか。」

 と一笑に付されてしまったので、

「いや、決してあり得ない話ではないぞ。」

 と反論したが

「それは夢見過ぎなんじゃないですか。最近の女性はそんなに弱くないですよ。ましてや歌舞伎町に来るような女性は。」

 と言われてしまった。

 でも、最近、俺は踏切に引っかかって誰も助けなかったおばあちゃんを救出したぞ。
 俺は本当に「ええ!?」っていう子どもやお年寄りのドラマみたいなトラブルにはしょっちゅう出くわす。

 昔あった現象「シンデレラシンドローム」とか「ピーターパンシンドローム」は次第に「中二病」という言葉に代替されていったが、可能性が0%じゃないのに、ロマンスを求めることを否定するなんて、生きる希望を失うじゃないか。

 なるほど、どうやら俺は愛情が一気に燃え上がるようなロマンスに飢えているようだね。





「独身でいいかも」と思う瞬間は? ブログネタ:「独身でいいかも」と思う瞬間は? 参加中


 男がだらしないのか、女性が社会進出を果たしたからなのか、昨今晩婚化が進んでいる。
そして、焦りを感じた年齢層の男女が、結婚に向けて動くいわゆる婚活を始める人が増えている。
 その現実は甘くはないようで、年齢を重ねるほど自分の社会的地位や生活レベルが上がるため、相手へ求める条件も厳しくなり、納得のいく相手が見つかるケースは少ないという。

 「現在の生活レベルを下げてまで結婚するメリットを感じない。」
 
 「自分の時間が減るのが嫌だ」
 
 「家事負担や育児負担が増えるのが嫌だ」
 
 だそうだ。

 俺自身も確かにそう感じた場面はある。
 だが、だからといって結婚してもデメリットが多いよと言えるかは、それぞれの価値観だとは思うが、俺は思っていない。

 給料の全てを渡し、自分は小遣い制になり、自由に使えるお金は減ったことは事実だったが、不幸に感じなかった。そればかりを考える人を見ると本当に悲しくなる。

 「結構だ、じゃあ一生わがままな子供でいなさい。」

 と言いたくなってしまう。そういう発言をする自体が結婚する資格がない人間の発する言葉である。

 まぁ、そりゃ人間だから最初は不自由を感じるだろうけれどね。

 自分の時間が減ったが不幸に感じなかった。

 結婚に幸福を感じられるかは、その家庭に愛情や思いやりがどれだけ感じられる場面があるかにかかっている。

 昔、マスターカードのCMで「お金で買えないものがある。プライスレス。」のキャッチフレーズが非常に流行となったが、金銭や自由な時間を失う代償として、何を得られるかである。

 そこに必要なのは、価値観や人間性、感性である。

 特に感性が同じ人に巡り合えた人は本当に幸せだと思う。
 笑顔になれる楽しみや安らぎ、はたまた興奮やトキメキといった感性が似ていれば、それを共有することによって増長していくからだ。

 日常を流れていく平凡な生活については、所詮元々は他人であるのだから、何でもかんでも自分の思う通りにはならない。歩み寄りと慈しみが大切である。
 

 もしもそこに愛情があるのなら、結婚生活はなお素晴らしいね。

 でも愛情って後から実感するものだから、実感して幸せに思うことは本当に難しい。
 大きな愛情が必要だ。
 

 全然関係ないけれど、「もしもそこに愛情があるのなら」って言葉がなぜか妙に心に残ってしまったな。





All About 「恋愛」結婚生活が楽しくなる夫の条件
All About 「恋愛」結婚生活が楽しくなる妻の条件
過去、未来、どっちのことを考える方が多い? ブログネタ:過去、未来、どっちのことを考える方が多い? 参加中

私は未来派!



 俺は、後悔することが嫌いだ。
 自分が後悔しない選択をしてきたつもりだが、ただ未来のことまではわからない。

 社会を知り、現実を知っていき、俺はどんどん夢や希望を抱かなくなっていっているのを実感している。過去を振り返るとなおさら抱けなくなる。

 昔、「愛情が欲しい人は、まず人に与えなさい」と教わった。しかし、今ではそれを疑うようになってしまっている。過去は、今の自分の一部であり、未来はまだ自分の一部ではない。

 愛情は過去に残っていくもので、未来に過度の期待は禁物であると考えるようになっている。

 しかしだからといって、自分が未来に欲しがらなくなったかというとそうでもなくて、最近の自分自身を振り返ると、人間は本当に欲張りなのだと実感することが多い。

 本当は、したい仕事に就き、好きな人を恋しく想うことができるだけでも、とても幸せなはずなのだが、仕事ではより名声と高い収入を求め、好きな人へはより深い愛情を求めてしまうのだ。

 自分の過去は、全く同じ体験をしない限り、他人には共感は得られても完全な理解を得られることは不可能なのだが。

 そういった過去からは俺は逃げることはできないし、未来が欲しければ、自分から求めていくしかないんだろう。

 あまり最近は考えなくなってしまったけれど、10年後の自分はどうなっていたいか。またぼんやりと考えるのもいいのかもしれないね。

 楽をしてお金や愛情は得られないし、どちらも自分が主体的に欲しがっていかなければ得られないのだろう。 宝くじにはなかなか当たらないしね。

 自分の夢を叶え、好きな人を幸せにするためには、俺はもっと努力が必要で、もっと強い気持ちを持てる自分でなければならない。


 たまには甘えたい夜もあるけれど、俺は甘えるのが苦手になってしまったから、今日も一人でこの夜を越えていくんだろうな。


 惜しみなく与え、求める日が来ることを願って。





過去、未来、どっちのことを考える方が多い?
  • 過去
  • 未来

気になる投票結果は!?

どんなカバン使ってる? ブログネタ:どんなカバン使ってる? 参加中

 分相応とは言うものの、人間には人から良く見られたい願望というか欲のようなものがある。人からどう思われようが、どう見られようが構わないとずっと思うのは大変である。

 日本人は欧米人から見て不思議なほどブランド志向だそうだ。ブランドのバッグや小物を持ちたがる人は多い。

確かにいいものはいい。一流のものはそれなりに素材や色合い、デザインや縫製が良いし、長持ちするけれど、所有するのはその価値がわかってからで良いのではないかと思う。

 はっきり言ってしまうと、俺はスウェットで外をうろつく奴や、ジャージでブランド物のバッグを持ってパチンコ屋から出てくる奴を見ると、複雑な気持ちになる。

 かばんの趣味はさまざまあるが、俺は007に憧れているところがあるので、アタッシェケースを持っている。

 007のアタッシェには「Q」が開発した様々な工夫が凝らされてあって、催涙ガスや銃をばらしたもの、金貨まで装備されている。「ロシアより愛を込めて」では、それを駆使してピンチから逃れるシーンがあって、彼にはQがいていいなぁと思った。

 俺もどんな事態に遭遇しても対処ができるよう物をたくさん持ち歩くのだが(プロとして七つ道具も含めて)実際にそれを行うとアタッシェケースは中身がパンパンになってしまう。

 本当はケースもジェラルミン製のものが丈夫で軽くていいと思うのだが、傍から見てどう考えても怪しすぎるし、日常には適さないのである。

 

 せめていいものをと考えているのだが、やはり俺が欲しいイギリス製の伝統あるデザインや工夫がされている正真正銘のアタッシェケースは大変高価な代物である。

 さらにもっと質の高いアンティークものなんて本当はとても素敵でのどから手が出るほど欲しいのだが、実際にそんなものを持ち歩くことはできない。気温や湿度の差が激しい移動を繰り返す日も、雨風の強い日も、日々俺の傍で仕事で暗躍する道具は、たくさん使うのですぐボロボロになってしまうのである。

消耗品になってしまうのである。オーダーメードのスーツが汚れた時の落ち込みは本当に参ってしまった。

 

 つまり、まだ俺は分相応ではないのだろうね。


本当に欲しいアタッシェを持つのは、高価なものをバンバン消耗品のように使える身分になってからでいいのかなと思う。


  杉本彩さんや米倉涼子さんのような素敵な美女をお供に、タイのプーケット島(別名「ジェームズボンド島」)で最高のバカンスを過ごす夢もまだまだ先の話かな。

 そんなことを考えると、今日も理想と現実の狭間を実感してがっかりしてしまったのであった。

  俺にはまだまだ努力が必要だな。