冷豆な日々 -185ページ目

XL1200S フロントフォークO/H


冷豆な日々
お手伝いおじさんがやって来た

怪しいメットで

ミラーがちっちゃっくなりました




冷豆な日々
専用工具(笑)0円 パイプを叩いて潰しただけ 挟まってるのはそこいらに在ったもの




冷豆な日々
1200Sはカートリッジなのでめんどくさいのである




冷豆な日々
オイル注入 計量カップ105えん 油面は144ミリ 使った後にお米を計ってはいけません




冷豆な日々
オイルシールインストーラー? プッシャー? 376えん 内径40㎜塩ビパイプだよーん

一発ではいるよー 




冷豆な日々
メッキのカバーいらないから外した




冷豆な日々
昼はカツカレー!




冷豆な日々



冷豆な日々
あんた何しに来たの?




冷豆な日々
お手伝いおじさんありがとうございました~


これから箱根に蕎麦と風呂








四度目の春   沢田公園露天風呂の今


冷豆な日々
箱根を抜けて西へ



冷豆な日々
伊豆スカイライン ちょいと寒い 昨日の酒が俺を苛める




冷豆な日々
素敵な道が続きます




冷豆な日々
奥に見えてきたのは




冷豆な日々
大室山登場 二年ほど前皆で登りました リフトだけどね




冷豆な日々
南伊豆

風の匂いが今までの春と違う 考えすぎかな




冷豆な日々
釣り人が立ち入り禁止をシカトして登っていく




冷豆な日々
おーれもっ

ここは 西伊豆沢田公園露天風呂 2009年台風の波がここまで来てブッコワシタ

修理も終わっているようです 再開はもうすぐかな




冷豆な日々
風呂盗撮

きれいになってるね またフル珍で観光船に手を振ろう




冷豆な日々
釣り人とR750 以前丘の上に灯台が建っていました

とってもいいところ 

津波が来たらと余計なことを考える




冷豆な日々
恋人岬を過ぎるとそこには




冷豆な日々
恋人と空室  なんかわくわくするね




冷豆な日々
いつもの修善寺いちごプラザでお買いもの




冷豆な日々
東名高速 帰ってお仕事しました 走行360k




冷豆な日々
今日のお買いもの

おかきは道の駅開国下田みなと せんべいはいちごプラザ(一度浸けがおすすめ) 

とうとうせんべいしか買わなくなってもうた

春です皆出かけよう




















箱石佑太君12歳の日記

http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110425k0000e040028000c.html


「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太君(12)が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。

 ◇3月11日

 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。

 ◇3月18日

 津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。

 ◇3月23日

 卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。

 ◇3月25日

 親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。

 ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。

 ◇3月26~27日

 見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。

 ◇3月28日

 きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。

 ◇4月7日

 きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。

 *    *

 箱石君は25日、155人の仲間と一緒に町立山田中学校に入学した。日記は、大沢小の子供たちが復興に立ち向かう様子を紹介する「大沢からの報告」として毎日小学生新聞に11日に掲載。「何回も読み、涙が止まりません。皆様が少しずつでも前に進める日がくることを願っております」(2人の子を持つ東京都北区の女性)とのメールが届くなど大きな反響を呼んだ。「大沢からの報告」は同紙で随時掲載され、次回は5月11日の予定。





こちらは武田邦彦 教授のサイトです