舞台公演「共に生きる」 -3ページ目

2011年6月11日(土) 「反原発集会・デモ行進」に参加しました

東京港区芝公園集合での決起集会後に7キロ行進(4000人以上)
東京駅前に丁度、大勢の修学旅行の中学生が!
われら行進者は一斉に「あなたたちを守るために歩いてるんですー!!」と
彼らの目を見ながら叫ぶと、手を振って応えてくれたり、引率の先生が
こちらに向けて写真を撮ったり・・・

3月11日の東日本大震災では、天災の津波・人災の原発事故が発生。
原発の事故に思うことは多くあります。
震災後4ヵ月半過ぎた今も尚、右往左往している日本の政府、
政府(国)を動かすことができる国民の多くが未だに無関心で声を挙げない為に
状況が変わらない!
責任は我々にもあるということを痛感する日々です。
「あの時何もしなかった・・と後悔したくないから行動しています」とある人が言ってました

舞台公演「共に生きる」 舞台公演「共に生きる」


見よ!!「脱原発!」のはちまきをした猫のこのコワい顔を
(この猫さまも歩き通しました、スゴイ! 銀座をフラフラ歩いてる人間よりずっとマシです)

沖縄の基地問題も含めて、
今の状況に2年前の「共に生きる 公演」~未来からの伝言~が
重なります。

護憲おばさんのセリフ
「軍隊が国民を守ってくれないとこ見ちゃったのよ!
わたし、満州にいたのよ、今の中国の東北部だわ。
1932年から日本が占領して、満州国ってのをつくってたの。
それがさ、1945年に日本が太平洋戦争に負けたでしょ、
そしたら、日本の軍隊が関東軍っていうんだけどね、
それが真っ先に逃げ出しちゃったのよ、ソ連が攻め込んでくるってんで。
満州の日本人置き去りだったのよ」


この場をお借りして、護憲おばさんを演じてくださった宮川清子さんは今年4月に亡くなりました。
きっと、天国でも「憲法改悪はんた~い!」と活動していらっしゃるのでしょうね、とは20代の共演者の言葉です。

目黒恵子

いわきでのボランティア

5月28日(土)物資配布と昼食提供のボランティアを行って参りました。
小雨が降ったりやんだりを繰り返す天気でした。

当初、公園にて行う予定でしたが、雨の為、カトリックいわき教会に、場所を提供頂きました。

12時配布開始というなか、並んで待つ方々も多くいらっしゃいました。
オムツ一つをあげても、サイズや型の問題といろいろあり、ニーズは多様化していると実感しました。
津波の被害は無い地域でしたが、風評被害にあっている方もいらしたようです。


私は教団の須賀川シオンの丘に前泊いたしました。
地震の影響により、宿泊棟が少し傾いていました。玄関がきちんとしまらなくなってしまったり、
押入れの開閉が苦労するという状況でした。
郡山に近い為、いわき市よりも放射線量が少し高く、教会員のご近所の方が孫を連れて
引越してしまった。我々はどうしようか? と話をする と話してくださったご婦人がいらっしゃいました。
貴重な体験をして来れたこと感謝です。

夏にも青年向けのキャンプが計画されているようなので、参加可能であればまた、伺いたいと考えています。


矢吹 愛美

舞台公演「共に生きる」

舞台公演「共に生きる」

3.11


この度の東日本大震災に被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧を心からお祈り申し上げます。


ワケありで一度降り立ったその土地は、素朴で海の香り漂う忘れられない場所の一つだった。

舞台公演「共に生きる」

この海辺━ 2011年3月11日の豹変で大勢の人たちの人生が狂った。
私がその一人だったら何を望むのだろう。

舞台公演「共に生きる」