私の鬱病日記

私の鬱病日記

平成26年8月、鬱病になりました。

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丸1ヶ月間、服薬治療をしながら休職していた。
一人暮らしなので家族には言わなかった。祖父が鬱病で自殺していたので、わざわざ言おうとは思わなかった。
 家ではずっと寝ており、横になったまま朝が来て夜が来た。食欲はないがお腹はすく。毎日毎食、ふりかけご飯を食べていた。
 復職したい訳ではなかったが、早く復職しなければならないといつも思っていた。私の会社は大変忙しい。私が抜けた分の業務は他の誰かが負担している訳で、申し訳なくて早く復職したかった。

 1ヶ月の休職の後、主治医から更に1ヶ月の休職を命じられた。拒否すると「早く良くなれば期日を変更するから」と言われたので受け入れた。
 その2週間後から復職の練習が始まった。9時に出社して、休憩室(ほぼ誰も来ない部屋)で3時間本を読んで、昼12時に帰る。
 それを月水金やる。
 次の週は月水木金、その次の週は毎日になり、1時間だけ業務に従事して良いことになった。
 軽作業だったからか、久しぶりにする仕事は楽しくて仕方なかった。
 その生活を2週間続けた後、暇な職場に異動して復職となった。
 今年の8月初日、私は社内で最も忙しい部署に配属された。
 日中は絶え間なく電話が鳴り、電話とパソコンで業務をこなすのはもちろん、直接体が必要な業務も多い。話の通じない客も多い。いわゆる総合職なので入社2年目ながら、経験年数は自分より上の部下が山ほどおり、少しでも変な対応をすると瞬く間に悪口が社内を駆け巡る。
 電話は帰宅後も鳴り止まない。入浴中も呼び出し音に気を配り、睡眠を覚まされることはしょっちゅうである。緊急性の高い場合はそのまま、夜中の2時だろうが3時だろうが会社へ駆けつける。そんな生活の中で、気づけばいつもイライラしていた。

 ギリギリのところで踏みとどまっていた生活が崩壊したのは盆過ぎだった。
 インフラ系だが公的機関でない私の会社は、他が一斉に休みを取る盆正月が一番忙しい。
 その忙しさを乗り越え、体は疲れ切ってきた。そこにクレーマーが連続して現れ、それに励起されたのか部下が連絡板に私への非難を書いた。
 頼りにしていた上司がクレーマーの肩を持った日、ついに感情が爆発した。
 「疲れてもう働けません。休ませて下さい」
 8月はまだ1日も休んでいなかった。もう耳の遠い老人に声を張る気力もなく、業務に支障を来たしていた。些細なことで涙が出た。「美人じゃないけど笑顔がいい」とずっと言われていた笑顔が全く作れなくなっていた。

 その翌日から1週間休みが貰えたので、趣味の旅行に行った。

 そして仕事に戻った日、出社してすぐに「精神科に行くように」言われ、秘書的立場の人が車で連れて行ってくれた。

 そこで言われたのが、鬱病になっていることと、少なくとも1ヶ月の休職が必要ということだった。
 「そんなに休めません」
 「でもそれじゃあ働けないでしょう」
 この頃は、少し話すだけで涙が溢れるようになっていた。精神科の診察室でもずっと泣いていた。確かにこんな状態では顧客対応も部下への指示も不可能だった。
 嫌々ながら休職し、それで私のキャリアは崩壊した。
今年の8月、鬱病と診断されました。

この診断を受けたことで、私は被差別者になったと感じます。
社会的不利益になるため外では言えない、主治医にも言えないことをここに書いて行こうと思います。