今夜は涼しくて
寝やすいはず



だけど
また
ここしばらく
あまり眠れてないや



月を見て
ぼーっとしてる
it seems to be myself ~自分らしく~-100729_031910.jpg





涼しくて
心地好い







久しぶりの更新ですクローバー






"自分の生きづらさ"についてどういう視点で捕らえるか‥というのは、自分と上手く付き合っていく上で大切になってくるのではないかと思う。




あたしは、"生きづらさは自分自身の一部分でしかない"と捕らえることでかなり楽になった気がする。




あたしは、摂食障害6年目ぐらいになる。色々やらかしたし、苦しんだけど、摂食障害は自分自身ののほんの一部分なんだよね。

本当は他の部分が沢山あるはず。摂食の部分は完全に無くすことは難しいけど、小さくしていくことはできる。

病気に飲み込まれると、自分がそれしかないように錯覚しがちだと思う。
今でも、飲み込まれるとそう錯覚する時がある。
でも、それは悪循環のループではないでしょうか。




あたしは、生きづらさを病気で取り上げたけれど、全てに共通すると思う。




もちろん、「生きづらさ」は、人それぞれあって、形も、構成も、原因も違うと思う。


もしかしたら
コミュニケーションをとることが苦手と感じ、それが「生きづらさ」の人もいるかもしれない

パニック障害で、電車に乗れなくなくなってしまって「生きづらさ」を感じる人もいるかもしれない。

リストカットで、空虚感を「生きづらさ」と感じる人、傷跡を「生きづらさ」と感じる人、そうしてしまう自分に「生きづらさ」を感じる人もいるかもしれない。


どれも、その人にとって「生きづらさ」なのには変わりがない。
だから、ここで『それは~だ。』と価値観を押し付けようとは思わない。





「生きづらさ」にも、

もしかしたら変えられるもの。
時系列で変化していくもの。
なかなか変化しないもの。
など、色々あると思う。



大切なのは、自分なりの捉えかたをした上で、次々と現れる困難(生きづらさをもっと具体化したやつ)を"どうするか"。


あたしは
"自分自身の一部分でしかない"と捉えることで、気楽になれるからか、シンプルに事業仕分けをするようになった。単純に、


もしかしたら変えられるものか

時系列で変わりそうなものか

なかなか変わりそうにないものか

の3つかもしれない。



それを判断するために

できること
できないこと

病気の部分なのか
そうでないのか

自分でなんとかできるのか
できないのか

過去に何回もあったことか
はじめてか

…と考える


そんなふうに頭を働かせることで

対処が見えてくる




シンプルな整理ができなくなると、主治医の先生なんかと話をしたり、日記を書いたりしてみる。


勿論、始めた頃は考えることに頑張り過ぎたし大変だったけど。







少しは成長できてるのかな(´∀`)
人間は

何かをするために
何かをしようとして

自ら目的を持って
生まれてくるわけではない



だから

『生きること』そのものは意味を問う対象にはなりえないと思う




なのに




人間は




たまに





『生きること(人生)』自体と『生きること(人生)の中で出会うモノや行為』を混同して、生きる意味を問うような気がする






生きる意味を問うことは


どこかで
何事にも『目的を持たねば』と強迫的に思ってしまう背景からなのかもしれない