コンピューターの歴史と聞くと、アラン・チューリングやチャールズ・バベッジの名前を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、そのずっと前に、プログラミングという概念を初めて形にした女性がいました。その名はアダ・ラブレスです。彼女は世界初の「コンピューター・プログラマー」として知られています。
アダ・ラブレスとは?
オーガスタ・アダ・バイロン(後にアダ・ラブレス)は、1815年12月10日にイギリス・ロンドンで生まれました。父は有名な詩人バイロン卿(ロード・バイロン)、母は数学に秀でたアナベラ・ミルバンクでした。両親はアダが幼い頃に離婚し、アダは父とは一度も関わることなく育ちました。
母親は、父のように「空想的」にならないよう、アダに数学や科学を重点的に学ばせました。これは当時の女性としては非常に珍しい教育方針でした。
バベッジと解析機関
10代後半のアダは、数学者であり「コンピューターの父」とも呼ばれるチャールズ・バベッジと出会います。バベッジは「解析機関(Analytical Engine)」という、現在のコンピューターに近い機械を構想していました。
1842年、アダはイタリア人数学者が書いた解析機関に関する論文をフランス語から英語へ翻訳する依頼を受けます。ところが彼女は、単なる翻訳にとどまらず、原文の3倍もの長さの注釈を加えました。
世界初のコンピュータープログラム
この注釈の中で、アダは解析機関を使ってベルヌーイ数という複雑な数列を計算する方法を記述しました。これは、機械で実行されることを想定した世界初のアルゴリズムとされています。これにより、彼女は「世界初のプログラマー」と呼ばれるようになりました。
さらに彼女は、解析機関が単に計算だけでなく、音楽や図形なども扱える可能性があると考えており、これは現代のマルチメディア処理を先取りしたような発想でした。
アダ・ラブレスの遺産
アダ・ラブレスは、1852年11月27日に子宮がんのため36歳の若さで亡くなりました。彼女の業績は長い間忘れられていましたが、20世紀半ばに再評価され、その功績が広く知られるようになりました。
彼女の名前は、アメリカ国防総省が1980年代に開発したプログラミング言語**「Ada」にも冠されています。また、毎年10月の第2火曜日には「アダ・ラブレス・デー」**として、STEM分野(科学・技術・工学・数学)で活躍する女性たちをたたえるイベントが世界中で開催されています。
おわりに
アダ・ラブレスの人生は短かったものの、その発想力と先見性は計り知れません。19世紀という、女性が科学に関わる機会がほとんどなかった時代に、彼女はコンピューターの未来を思い描いていました。
アダの物語は、「未来を変えるのは、時に時代を超えた想像力である」ということを教えてくれます。