昨日、Twitterでこんなアンケートを作りました。投票いただいた皆様、ありがとうございます!
201票時点での結果は次のとおり。
1位 色んな感情踏まえて愛してる 52%
2位 当時コンサを見てなかった 25%
3位 受け入れられないけど必要だったかも 15%
4位 ヤンツー時代はクソ 8%
このアンケートの結果を理解するには、2004年シーズンがコンサドーレについてどんなシーズンだったか理解しなければなりませんね。私なりにまとめてみました。(先輩サポの皆様、違う点があれば教えてください!)
2001年、J1昇格の立役者だったエメルソン選手を引き止めることはできませんでしたが、ウィル選手を獲得してJ1昇格1年目を戦い、山瀬選手や今野選手の活躍もあってJ1に残留しました。(以降、J1に残留したのはこれまでこの年のみ。それ以外は昇格即降格という結果となっています)
2002年、1999年から3年間指揮をとった岡田武史氏の後任として柱谷哲二氏が監督に就任。獲得した選手の活躍もなく、シーズン中計3人が監督として指揮をとるという異常事態。3年目のJ1リーグでの戦いは夢と散りました。
この年、5勝1分24敗、全16チーム中最下位。既にかなり歯車がくるってしまっていたのでしょう。
次の年、2003年はジョアン・カルロス氏が監督に就任したもののシーズン途中までの間に多くの選手が抜け、監督も結局途中で退任。昇格争いには絡めず、全12チーム中9位と下位で降格初年度を過ごしました。
ここでやっと出てくるのが、ヤンツーこと柳下正明監督です。
チームは経営面で大きな問題を抱えており、経費圧縮により早急に黒字化させる必要がありました。若手主体で「育てる」編成方針を掲げ、高年俸のベテラン選手を軒並み放出、かわりにユースや学生などから新人選手を8人獲得。前年ジュビロ磐田で若手の登用によってチームを作り上げた実績のある柳下監督にチームを任せることになりました。
どんな状態のチームであったのか、私自身当時まだコンサドーレを見ていませんでしたので、はっきりとしたことはわかりません。
しかし結果は5勝15分24敗で、J1経験チーム初のJ2最下位。アンケートに対するコメントとしてもありましたが、「J3への降格が無いからこそできたこと」という結果でした。
そんな2004年シーズン。アンケートツイートに対したくさんのコメントリプライをいただきましたので、以下に共有させていただきます。読みやすさのために語尾など統一させていただきましたが、もし、「これ自分の言ったのと意図が違う」「自分のは出さないで」というのがあれば、お手数ですがご連絡ください!
■とにかく辛かった派
・この辛い年があったから今があるとは思う。当時は負けばかりで、帰りの地下鉄で知らない人に「コンサまたどうせ負けたんだろ」と言われ、そのたびにへこんでいた
・10試合観戦して、勝った試合を観たのは1試合だけだった
■あまり印象が無い
・当時は新入社員で関東にも来たてで生観戦は1試合も出来なかった。財務状況が問題になった年でもあるし、色んな意味でコンサの歴史に残る年
・受験生だったので試合は見ていなかったが新聞などで見て「本当にやばいんだな」と思った
■仕方なかった派
・(経営上)実質破綻状態だったので、経営方針にもチーム作りにも不満は無い。(中略)ヤンツーの練習を見るのは楽しかった
・クラブの決めたことを受け入れざるを得なかっただけ。(中略)でもそれはそれで楽しいこともった。(当時は降格がなかったからできたけど)今ならできない
・あの時は若かったから耐えられた。その先に明るい未来があると信じていたが、同時に耐えられる人しかサポに残らなかった。でもああするしかなかったと思う
■むしろもう一度みたい派
・あの状況で監督引き受けてくれて、理想のサッカーをやろうとした素晴らしい時代。(柳下監督には)ちゃんと戦力を整えた状態で、もう1度監督をやってほしい
・(この年の天皇杯ベスト8進出は)ヤンツーさんの実績
■何があろうと応援するし派
・連敗中ヤケクソで全部見に行った。ドラ息子ほど可愛い
・(ユースを応援し続けてきた自分にとって)夢のような時間だった
■あの年があったから今がある派
・この年がなければ今の自分はない。実際には翌年から本格的な応援にまわった
・(プロサッカー経営の)プロとしては失格だが、(若い選手を育成してトップチームに繋げるという)流れは今のチームに繋がっていると思う
・この年に作られた方針が、雁来の練習場やアカデミースタッフの重視(ただし薄給)という現状の体制に繋がっている。あの年が今の土台となった。(今はそんなことないけど)当時、長期的な視点から若手を指導できていたチームは多くなかった
■やっぱりダメだったと思う派
・当時は「貧乏だけど真っ当な経営」「若手を厳しく育てればやがて実となり花になる」と考えていたが、今思えばお金をとって試合をするプロサッカーの企業としては失格。役所育ちの人には無理があったのだろう
■なんで受け入れられなかったのかと思えば・・・派
・当時はシーズンシートの区分が席種×大人・小中しかなくて、大学生だけど大人料金しっかり払って買ったことを今でも根に持っているのかも
最後に、当時もサポーターとしてコンサドーレを応援していた方から貴重な一連のツイートをいただきましたので、紹介させていただきます。
2004年シーズンはコンサドーレにとって何だったのか問題、機会あればより多くの方の話を聞いてみたいです。
コンササポの皆さんに質問です!柳下監督時代の2004年シーズンをどう思ってますか?
— ミエ@にがおえ (@mimimimiechin) 2016年7月21日
選択肢にないものは是非リプください!
201票時点での結果は次のとおり。
1位 色んな感情踏まえて愛してる 52%
2位 当時コンサを見てなかった 25%
3位 受け入れられないけど必要だったかも 15%
4位 ヤンツー時代はクソ 8%
このアンケートの結果を理解するには、2004年シーズンがコンサドーレについてどんなシーズンだったか理解しなければなりませんね。私なりにまとめてみました。(先輩サポの皆様、違う点があれば教えてください!)
2001年、J1昇格の立役者だったエメルソン選手を引き止めることはできませんでしたが、ウィル選手を獲得してJ1昇格1年目を戦い、山瀬選手や今野選手の活躍もあってJ1に残留しました。(以降、J1に残留したのはこれまでこの年のみ。それ以外は昇格即降格という結果となっています)
2002年、1999年から3年間指揮をとった岡田武史氏の後任として柱谷哲二氏が監督に就任。獲得した選手の活躍もなく、シーズン中計3人が監督として指揮をとるという異常事態。3年目のJ1リーグでの戦いは夢と散りました。
この年、5勝1分24敗、全16チーム中最下位。既にかなり歯車がくるってしまっていたのでしょう。
次の年、2003年はジョアン・カルロス氏が監督に就任したもののシーズン途中までの間に多くの選手が抜け、監督も結局途中で退任。昇格争いには絡めず、全12チーム中9位と下位で降格初年度を過ごしました。
ここでやっと出てくるのが、ヤンツーこと柳下正明監督です。
チームは経営面で大きな問題を抱えており、経費圧縮により早急に黒字化させる必要がありました。若手主体で「育てる」編成方針を掲げ、高年俸のベテラン選手を軒並み放出、かわりにユースや学生などから新人選手を8人獲得。前年ジュビロ磐田で若手の登用によってチームを作り上げた実績のある柳下監督にチームを任せることになりました。
どんな状態のチームであったのか、私自身当時まだコンサドーレを見ていませんでしたので、はっきりとしたことはわかりません。
しかし結果は5勝15分24敗で、J1経験チーム初のJ2最下位。アンケートに対するコメントとしてもありましたが、「J3への降格が無いからこそできたこと」という結果でした。
そんな2004年シーズン。アンケートツイートに対したくさんのコメントリプライをいただきましたので、以下に共有させていただきます。読みやすさのために語尾など統一させていただきましたが、もし、「これ自分の言ったのと意図が違う」「自分のは出さないで」というのがあれば、お手数ですがご連絡ください!
■とにかく辛かった派
・この辛い年があったから今があるとは思う。当時は負けばかりで、帰りの地下鉄で知らない人に「コンサまたどうせ負けたんだろ」と言われ、そのたびにへこんでいた
・10試合観戦して、勝った試合を観たのは1試合だけだった
■あまり印象が無い
・当時は新入社員で関東にも来たてで生観戦は1試合も出来なかった。財務状況が問題になった年でもあるし、色んな意味でコンサの歴史に残る年
・受験生だったので試合は見ていなかったが新聞などで見て「本当にやばいんだな」と思った
■仕方なかった派
・(経営上)実質破綻状態だったので、経営方針にもチーム作りにも不満は無い。(中略)ヤンツーの練習を見るのは楽しかった
・クラブの決めたことを受け入れざるを得なかっただけ。(中略)でもそれはそれで楽しいこともった。(当時は降格がなかったからできたけど)今ならできない
・あの時は若かったから耐えられた。その先に明るい未来があると信じていたが、同時に耐えられる人しかサポに残らなかった。でもああするしかなかったと思う
■むしろもう一度みたい派
・あの状況で監督引き受けてくれて、理想のサッカーをやろうとした素晴らしい時代。(柳下監督には)ちゃんと戦力を整えた状態で、もう1度監督をやってほしい
・(この年の天皇杯ベスト8進出は)ヤンツーさんの実績
■何があろうと応援するし派
・連敗中ヤケクソで全部見に行った。ドラ息子ほど可愛い
・(ユースを応援し続けてきた自分にとって)夢のような時間だった
■あの年があったから今がある派
・この年がなければ今の自分はない。実際には翌年から本格的な応援にまわった
・(プロサッカー経営の)プロとしては失格だが、(若い選手を育成してトップチームに繋げるという)流れは今のチームに繋がっていると思う
・この年に作られた方針が、雁来の練習場やアカデミースタッフの重視(ただし薄給)という現状の体制に繋がっている。あの年が今の土台となった。(今はそんなことないけど)当時、長期的な視点から若手を指導できていたチームは多くなかった
■やっぱりダメだったと思う派
・当時は「貧乏だけど真っ当な経営」「若手を厳しく育てればやがて実となり花になる」と考えていたが、今思えばお金をとって試合をするプロサッカーの企業としては失格。役所育ちの人には無理があったのだろう
■なんで受け入れられなかったのかと思えば・・・派
・当時はシーズンシートの区分が席種×大人・小中しかなくて、大学生だけど大人料金しっかり払って買ったことを今でも根に持っているのかも
最後に、当時もサポーターとしてコンサドーレを応援していた方から貴重な一連のツイートをいただきましたので、紹介させていただきます。
2004年シーズンはコンサドーレにとって何だったのか問題、機会あればより多くの方の話を聞いてみたいです。
@mimimimiechin 「03年終わり段階で経営がほぼ破綻して最低限の戦力を揃える金がない」という状況があり、既存戦力ほぼ全部切って若手主体に。更に「磐田に世代交代を突き付けて辞めた柳下監督」に選手育成最優先で監督就任を依頼したと。
— アラブ三郎 (@alovesun) 2016年7月21日
勝負度外視するしかなかったんですよね。
@mimimimiechin そして柳下監督は「サッカーでは1失点はミスだ何だでしてしまうもの。なので2点取って勝つ攻撃を植え付ける」「カウンターなどやり方を固定すると若い選手はそれしか出来なくなるので約束事は最低限」というスパルタンな姿勢で(クソ若いチームで)リーグに臨んだと。
— アラブ三郎 (@alovesun) 2016年7月21日
@mimimimiechin その結果「守備は何となく近くにいる人がチャレンジして、かわされる」「攻撃では数人が奇跡的に美しく絡むと凄いゴールが出るけど大体はミスで失う」ようなチームに。(特に04年春にボールの収まり処だった三原選手が大怪我したのが攻守に脆さを増した要因でした)
— アラブ三郎 (@alovesun) 2016年7月21日
@mimimimiechin 長々すみません。天皇杯では「攻守に約束事を設け単純なやり方でやらせた」そうで、そしたら勝つんかい!というのもまたヤンツー体制のロマン要因だと思います。ともかく「経営上やるしかなかったリストラついでに壮大な実験も一緒にやっちゃった」ってのが04年すね。
— アラブ三郎 (@alovesun) 2016年7月21日