犬中心のごった煮日記。 -17ページ目

犬中心のごった煮日記。

犬中心のごった煮日記。

今年は、年齢的に我が子を見送る人が多い。

 

訃報を知るたびに、胸がぎゅーってなる。

一番キツイのは飼い主さんであるママだとわかってても、

涙が出てきてしまう。

 

また、闘病中という子の話も聞く。

 

どちらも、知っている子であればあるほど、ぎゅーってなる。

 

それと同時に、おかんたちのあり方を見せてもらって、

その弱さと強さに励まされる。

 

「だからこそ」と踏ん張って、立ち上がってる姿、

立ち上がろうとしている姿が、とてもとても美しく感じる。

 

かかしも、明後日には11歳。

結構いい歳。

アレクの時みたいに、突然、癌などの病気になることも考える自分がいる。

病気したり怪我したりってなくても、

カウントダウンをどうしても意識してしまう瞬間がある。

できれば17歳くらいまでは、このまま何事もなくそばにいてほしいと願うんだけども。

 

でもある意味、今ってもうボーナスタイムみたいな時期でもあるんよな、とも思う。

 

大型犬は特に、10歳の壁ってあって、

それを無事に越えられた時、「よかった」って、

一旦はただそれだけになるくせに、

やっぱり欲は出てきて、じゃあ、次は、次は、次は・・・って思う。

ちなみに、今は11歳は確実に超えられるのわかったので、12歳を強く願っているww

 

んで。

 

そのボーナスタイムに、私は何を選択するか。

 

特に病気したりしてなくても、足腰が弱ってきてるのを感じる。

だから、もう特になにかせず、ただただのんびり過ごす、

それを選択することもできる。

 

ぶっちゃけ、でっかい問題どころか、ほどほどの問題すら、

ただ日々を過ごす、という意味においては、かかしにはないからな。

 

ほどほどの問題、の例を具体的にあげると、

例えばピンポンなったら一声吠えるとか、

犬猫見たら「いったろか、ごるぁ!」がちょっと出るとか、

ご飯や散歩をせがんでバタバタするとか、

予防接種などで病院行くと、診察台でハフハフ興奮するとか、

でも、それら全部、一声やめろって言ったらやめるし、

だから不安を抱くことも危機感を感じることもなく、

本当、何事もなく過ごせるけど、

でも「一々注意せんでも、気にしないでくれたらなぁ」みたいな、

「うちの子他の子見ると意識しちゃうのよ~(笑)」

って言う程度で収められるんだけど、

心の奥底では「でもなぁ」があるようなやつ。

 

これら、私の前ではせんけど、旦那の前だと出るので、

「ほどほどの問題すら」なんだけども、

私の前では?というとこでいうと、

やっぱりなんかアレばすぐ出る「人間は石ころ」なやつがある。

「俺一人で生きられるんで」っていうようなやつ。

 

かかしは生後8ヶ月過ぎまでブリーダーの所にいたから、

それまでの状態がどうだったか、

たまに立ち寄ったりもしてたけど実際は知らない。

 

ただ、ブリーダー自身から「しゃーしい」と言われまくってて、

見た目はめっちゃくちゃ可愛いのに行き先がなかった子。

 

なので、元々持って生まれた性質/気質って部分で、

人間的な視点で、本能的に「・・・」があったのだとは思う。

 

けど、そんな事以上に、それを強化させてしまったのは紛れもない私なんよね。

 

いくらでも、いくらだって、言い訳はできるけど、

「いやでも、そもそもさ」っていうとこ。

 

私の元に来なければ違った未来を得られた可能性は否定できやしない。

 

けど、それでもなお、思うことがある。

 

「かかしは、私のとこにきたから今がある」

「私以上に、かかとガチンコで向き合って泥だらけになれてる飼い主は他におらんやろ」

 

って。

 

これはアレクに対しても思うことだけど。

 

犬に限らず動物を飼う、というのは、

やっぱりどうしたって人間のエゴだよな、と思う。

 

前に書いたか定かではないけれど、

フチさんが「あなたはなぜ犬を飼っていますか?」みたいな問いかけしてたの見て、

その瞬間はフリーズしてしまって返答コメント書き込めなかったけど、

「私が生きるためです」としか言えない自分がいる。

 

てか、それしかないやろ?って思う自分がいる。

 

だったら、ならば?と考えると、

他の人がどうかわからないけど、

「私が思うQOLを我が子に」ってなるんよな。

 

それもまたエゴではあるけど、

特にでかい問題なけりゃ過ごせる、

それはそれで間違ってないと思う。

 

けど、私は生きるには生き続けるには、何かしらの刺激がほしい。

それは負荷といえるかもしれないし、

課題とも言い換えることできるかもしれない。

まあ、つまりは、そういうやつ。

 

なかったら?

そこそこ、自分が日々生活できるだけのお金は得られる仕事があって、

それまで培ってきた経験やら実績で、

たまに美味しいもの食べられて、

たまにどこかでかけられて、

それで十分ならば、それはそれでいいと思う。

 

でも私はそれだけじゃ「うがあああああ!」ってなる人間で。

 

もしかしたらかかしは、そうじゃないかもしれへん。

でも「うがあああああ!」ってなる人間の元に来ちゃったからには、

付き合ってくれな、と思う。

 

まあ、エゴよな。

 

けれど、日々セッション参加してる時、

「おかん、俺できたでー!」

「どう?俺どう?すごない?」

などなどの嬉しそうな表情見ちゃうとな。

 

「あ、かかもそうなん?」って思う。

 

そういうんを、かかに与えてやりたい、と思う。

 

何かを評価されたり、何か達成できた瞬間の喜びって、

すなわち生きる喜びに繋がるよな、って思う。

 

そして、それを共有したいと願う。

共有して、共に立ち向かって、

だから、最期のその時、

「ありがとう」「いってこい」って見送れる自分になりたい。

 

共有してきたことが財産で、

失った後でも自分が生き続けられる種になると思うから。

 

付き合わせてしまってごめんな、とかちょっとはあるけど、

どうせ付き合わせるんなら、

自分を憐れんでしまうようなものとは無縁でありたい。