きな子の個人的アクシデント。
いずれ報告させていただくと書いていた「個人的アクシデント」、覚えておいででしょうか?
そんな改まって報告せねばならないような事でもないのですが、自分に起こったアクシデントと、それと向き合った数か月をちゃんとまとめておきたいと思い書くことにしました。
いつか読み返した時に、ああ、こんなことあったなあと思いだして笑いたいので。
そして、もし同じ状況で落ち込んでたり、不安に思っておられる方が偶然にもこのブログを読んで、不安がほぐれたり「クスッ」と笑えたらいいなあなんてえらそうなことを思ったり。
(読んだ後に、メインのヅカブログを読んで引かれるまでがセット←おいっ)
人生、長く生きてれば色々あります。
山あり谷ありクロード・チアリです。
前置きがナイル川のように長くなりましたが(←通常運転)、実は、
きな子は今年1月半ばに「子宮全摘出手術」を行いました。
長いです。だらだらと長いです。
何の参考にもならないただの回顧録です。文才がないので面白くもないですよ。
もしよかったら、読んでやってください(いや、読まなくてもいいです、個人的記録なので)
-(手術までの)決断編-
赤飯を食べたあの日から、ずーっと重い方でした。量も多いし、期間も長い。
成人して周期も安定してきましたが、30代半ば頃に筋腫の存在を確認。以来、1年おきに婦人科検診を受け続けていました。
これまでずっとずーっと育てていた筋腫ちゃん(←わが子と呼んでた)が、すくすくと育っていたものの、ここ数年は安定して大きさも6センチほどで伸び悩んでおり、
もうこのまま落ち着くだろう、そして遠くない未来に閉経し、徐々に小さくなるわが子と共に歩んでいくのだと思っていました、ここ数年は。
反抗期がやってきた。
夏の終わりごろから、なかなかやってこない。最近は不規則になりだしていたし、深く考えてなかったきな子。
前回から2か月たってるけど・・・まあ、こういうこともあるよな。
(もしかして、閉経がだいぶ早く来ちゃった?なんてのんきに考えてました。)そしたら、
わが子が、急にグレだしたのです。
鉄パイプでそこいらのものをたたき割るかのごとく、もう手が付けられないくらいに暴れだし、きな子は日常生活に支障をきたし、仕事にも影響が。
よく言われるレバーのような血の塊(約5cm大以上)が止まらない。
夜用ナプキンが全面真っ赤になりとんでもない重量、それが15分もたない。
取り替えるためトイレへいくと、排尿のように血塊がドバドバ流れ出し、席へもどる
タイミングが計れない。下着をはいて立ち上がったら、ドバドバと流れる感触。
いつまでもトイレから出られない。
片道1時間の通勤は恐怖の連続。何度下着を汚したことか。
(替えの下着を常に持ち歩き、会社のロッカーにも常備)
シンクロフィットやタンポンでも、わが子の暴走を止めることは出来ません。
どこで育て方を間違ったのか。(あぁ積木くずし)
こうなるとどうなるか。そう、貧血です(しかも重度の)。
症状がひどくなって1週間後、かかりつけの婦人科に相談。
貧血の数値を計り、あらびっくり!
ヘモグロビン値:6
(女性の平均値は11)
以前からこの数値が低めのきな子、これまではだいたい9前後。9を切った時に
薬を飲むかい?と聞かれてましたが、とくに生活に問題ないので飲まずにやってきました。
しかし、この6は、そんな悠長なことを言ってられない数値。
院長先生が「この数値は重症レベル」
「治療を考えた方がいい」
「手術を考えた方が」
たしかに、この数週間、階段なんて5段くらい昇るだけで息があがり、顔色も悪く、普通に生活していても常に息苦しかった。
そりゃそうだ、これだけ出血していればそうなる。身体中に酸素を運ぶヘモグロビンが少ないのだから心臓への負担が大きくなり、呼吸も浅くなる。
「手術か…」
すぐには即断せず、1週間後に詳しい検査結果を聞く為、一旦、鉄剤をもらい、様子をみることに。
貧血は抑えられたものの、出血はなかなかとまらない。
1か月くらい続いたんです、この状況。(今思い出すだけでも地獄だったわ)
毎日毎日黒い👖パンツを穿いてましたもの。
やっとの思いで会社にたどり着いたものの、ナプキンからあふれ出た出血が下着を血に染め、パンツにまで。着替えてもこれは仕事できないとなり、そのまま早退。(理由は体調不良)
そんな日が何度も続いてました。ちなみに私の部署は私以外は全員男性。
誰にも理由なんざ言えません←当時は。
1週間後の通院までの間に、手術するか、薬治療で閉経するまでしのぐか考えました。
手術なら筋腫だけを摘出するのか、子宮自体を摘出してしまうか。
手術ならどっちがいいですか?
先生は決めてくれません、決めるのは私。(そりゃそうだ)
以前から筋腫のある位置が悪くて、妊娠しにくい(しても流産の可能性大)と言われており、未婚で結婚の予定もないので、出産自体に希望を持ってもいなかったきな子は、年齢的にもこのさき出産も望まないし、深刻に悩むこともなくあっさり子宮全摘手術を選択しました。
これで決定的に産むことは不可能になる、
と、チクリと心は痛みましたが。
検査結果と今後の相談の為の再診では、先生に尋ねられる前に
「わたくし、子宮全摘出することを決意いたしました!!!」と半ば食い気味に
宣言したきな子。
そうと決まれば、あとはサクサク事は進みます。
腹腔鏡手術を執刀することになる先生(←初登場。院長先生ではない)との面談日の予約、MRIの予約。
MRIの結果、幸いにも卵巣に問題はなかったので、卵巣を残すことが可能で、(子宮をとるので)生理はなくなっても更年期症状の問題はないとのこと(←もちろん、いつかは来ます)。
しかし、骨折の接合手術の経験はあるものの、内臓系の手術は初めてなので、聞かずにおれないきな子は
「あのぅ…、その腹腔鏡手術の先生とは…そのぅ…失礼なことを聞きますが…
(モジモジ)経験豊富な方なのでしょうか…?」
先生「すごい人だよ。僕なんかよりずっと。その道では名の知れた経験豊富な先生で、5本の指に入るような名医だよ」
きな子「そうですか!!!」
お名前を聞いて、帰り道に検索すると、ほんとにすごい経歴の先生で、5000回以上の手術経験をもつ現役バリバリの先生。
お写真もダンディな感じで、いかにも
やってくれそう!!(THE信頼感!)なお顔立ち。
1週間後の面談まで、毎日のようにダンディさんことドクターDの画像を見ては心を落ち着けていたきな子(←マジです)
そして、ついにD先生とのご対面。
初対面のような気がしない(←毎日、画像見てたし)。D先生、写真で見るよりもずっとソフトな印象で説明も優しく丁寧、ちょっとした疑問にも細かく時間をかけて説明して下さる。
対面前から勝手にきな子の上がりまくったハードルを軽々超え、「この先生にお願いしたい!」と思わせてくれるD先生。
手術の日程を予約、手術日までの投薬治療をさっそく開始しました。
手術日は仕事が落ち着いた頃を希望し3か月後の某日(てか、3か月先まで予約が埋まってた)。
D先生、この病院に毎週★・☆曜日に勤務(手術は☆曜日)、他の病院でも手術を執刀されているそう。
きな子、Dちゃん(先生からちゃん付けに)に羨望の眼差し。
Dちゃんのプロマイドは売ってないの!?←完全なヅカオタ考え
枕元においておきたいのに!!!
-(手術までの)準備編-
手術までの間、手術をしやすくするために筋腫を小さくするお薬を服用します。
いわゆる偽閉経状態にするわけです。生理を止めてしまうわけですね。一時的とはいえ閉経状態にするわけですから更年期症状があらわれます(個人差あり)。きな子は倦怠感などはありませんでしたが、なんせ暑かった。ホットフラッシュというやつです、真冬なのに顔が暑くて汗をかくかく。
11月12月はほんとに忙しかった。仕事は繁忙期だし、隔週で通院もあり(しかも平日)、星組公演期間でもあったので観劇もねじ込む。年明けに手術なので入院中の仕事の引継ぎもある。引継ぎ相手も繁忙期だからお互い時間を作るのも大変。引き継ぎ相手の上司がこれまた根性クソ野郎で全く協力的ではなく、私と引継ぎ相手への妨害まがいの言動などで、ほんとにむかついた。(自分だっていつ怪我や病気になるかわからないのに、こういう時に協力できないなんて神経を疑うわほんとに)
あまりの忙しさに不安がってる暇がなかったのが良いのか悪いのか…
手術の1週間前にコロナの検査を受けて(手術一日前に2度目のコロナ検査もあり)、入院の注意など諸々をヒアリングし入院に備えます。
今はコロナ禍なので、入院中の面会は不可。もちろん手術の付き添いも。
家族に病院の前まで送ってもらって、あとはひとり。
-入院~手術~退院編-
手術前日の昼に入院しました。2回目のコロナ検査をクリアし、病室へ。
手術当日・翌日のみ個室で、あとは2人部屋でしたが、翌日の手術が私一人だったため(いつも2人組み込まれてるらしい)、一人で個室状態。
これほんとラッキーだった。
まず最初に行うのが剃毛。
迷ったんですよね、家で処理していくか。でも、これは病院でしてもらった方がよいみたいですね。
処理後、殺菌とか気を付けないといけないし。もうお任せ状態のきな子。つるつるにするのね。
剃毛の後は、浣腸。
ドキドキ、子供のころに経験したけど、ずいぶんと楽なんですね。子供のころの記憶は、漫画みたいなブットい注射器で浣腸されたような記憶があったんだけど、ぜんぜん違いました。
看護さんは3分我慢してとおっしゃいましたが、無理無理。1分半が限度です。
夕方、Dちゃんと手術について最後のヒアリング。
3か月にわたり飲み続けてきた薬により、わが子は6センチから5cmに縮小。
き「劇的に小さくなったりしないんですね」
D「そうだね(笑)これなら下から出せるかもしれない」
き「!!!!」
子宮筋腫や子宮全摘出手術は腹腔鏡手術が一般的で、切除した子宮は膣から引き出します。
しかし、きな子のように出産経験のない場合は膣が固いため破けたりして危険がともなうので腹腔鏡で切除した後はおへその下あたりを3cmほど開腹して取り出すのだそう。そうするとずっと言われていて、その心づもりでもあったので
き「出せるんですか!?」
D「うん、いけるかもしれない。トライしてみる」
き「ト・ラ・イ?(トライ、とらい、try) 無理だったら途中で戻すんですか?(←バカな子質問)」
D「いやいや、膣に機械を入れるんだけど、そもそもそれが入らなければ出せないので、入らなければやめるよ。」
そんな感じなのね。
一か八かみたいにトライするわけじゃないでしょうし、もう、きな子はDちゃんに託すしかないので、うまくいきますよに
と願うしか。
緊張して眠れない人も多いからということで、睡眠導入剤飲んでぐっすり爆睡しました(緊張感ナシ)。
そしていよいよ、今日こそその日。
2度目の浣腸をすませ、いざ手術台へ。背中に麻酔をぶっ刺され、マスクを鼻口にかぶせられ…
そこからの記憶は皆無。
目が覚めれば病室のベッドですね。
無事終わりました。3時間半ほどの手術のようでした。
D「無事、終わりましたよ」「お腹切らずにすんだから」
き「ありがとうございました」
Dちゃん、tryに成功したのね。ありがとう、Dちゃん。信じてたわ。
あとで聞いたのですが、Dちゃん、膣から出すのに苦労したそうで
「途中で何回も(膣から取り出すのを)やめようかと思ったんだけど、(お腹)切るの可哀想だよねって皆と言いながら頑張った」んだそう。
膣を少し切って工夫して出したそうです。BIG LOVE
Dちゃんのプロマイドどこに売ってますか!!
手術後の夜は高熱と、色々体に管がついてたりで寝返りが打てないことによる腰痛で
まったく眠れませんでした。この時が一番辛かった。
翌朝には尿の管が外され、自力で歩いて元いた病室(相部屋)へ帰りました。
昼過ぎには背中にぶっ刺さってた麻酔針も抜かれ、痛み止めは飲み薬にかわりました。それも翌日の朝には飲まないでいいくらいでした(きな子は痛みに強い体質のようです)。
その後は手術した日から5日目に退院するまでは、のんびり過ごしました。
ほんとに、の~~んびり。てか、暇で暇で。贅沢なことです。
7:00 起床
7:30 朝食
↓ (TV、ゲーム、読書)
11:30 昼食
↓ (TV、ゲーム、読書、シャワー、昼寝)
17:30 夕食
↓ (TV、ゲーム)
22:00 寝る!
みたいな(笑)
総合病院とちがって産婦人科ですから食事が豪華で美味しくて、毎食写真撮ってました。
そのうち、より美味しそうに撮ることにこだわってライトとか当てたりして。
夕食間際に点滴なんてされた日にゃ、温かいうちに食べたいもんだから、点滴の速度を勝手にいじって速めるきな子(こら)
無事、退院後は2週間自宅療養。1週間で仕事復帰してもいいレベルで元気ではありましたが、無理は禁物。有休もたくさんありましたし、入院前に引継ぎ妨害をしたあの根性クソ野郎をもうしばらく困らせてやれと悪魔きな子さんはきっちり休業いたしました。
家では普通に動いて、スーパーに買い物に行ったりしてました。
おへその縫合糸はいつのまにか溶けて消えてましたが、膣の糸はしっかりめの糸で縫っているそうで6か月くらいかけて溶けるそうなので、今でもほんの少しの出血はあります。ごくごく少量の。
(体を動かすことで糸がこすれたりして血が出るんだそうです。)
今では偽閉経状態にする薬も飲む必要がなくなったのでホットフラッシュも無くなり、貧血も回復。
メモグロビンの数値もなんと
13
平均値よりも上回る驚きの数値!
今までは生理の時に敬遠していた白や淡い色のパンツスタイルも年がら年中楽しめます。
これからはノンスタイルばりに全身真っ白のスタイルで生活できますね!
快適な毎日です。
以上、長い長い近況報告でした。
婦人科検診は定期的に受けましょうね。きな子も、卵巣は残してますし、いずれ更年期も来るでしょうから、定期的に受診するつもりです。