模擬授業を通して、授業に対してどのような意識を持って取り組むかでどれだけ大きな違いが生まれるのかを学ばせていただいた。
全体的にどのグループも個人の指導案をグループの指導案として一つにまとめるのが大変だったようで、準備もそこに終始しているように思われた。そのため授業を受けていても、指導案の順を追っているだけで、主役であるはずの生徒が置き去りになり、沈黙状態でいる場面が多かったように思える。
だが、グループによってはその次の段階として、グループの共通指導案とのつながりを考えながらもう一度自分なりに作り直している人がいることを知った。生徒として模擬授業を受けていても、準備に時間をかけ、生徒のことを常に念頭に置いていた授業者の授業は受けていて安心感があり、流れやリズムといったものがあった。
どうしてこのような違いが生まれたのか考えてみたが、今回のグループによる模擬授業というものを、あくまで授業者は自分であると当事者意識を持って取り組んだか、One of themと考えてしまったかの違いにあるような気がした。もちろん、グループで準備をしたメリットは計りしれず、メンバーのいろんな意見や話し合いを通して学ぶことはたくさんあった。しかし、担当パートを当日あみだくじで決めるという先生の意図をくまずに、集団意識から抜け出せずにいると、得てして一人一人の準備にかける時間やエネルギーが分散されてしまい、本来一人で模擬授業ができるだけの経験を積めるはずが、それが4分の1やそれ以下になってしまうことが起きたのではないだろうか。
将来実際に英語教師になって一人で教壇に立った時のことを考え、どれだけ真剣に取り組んだか、とも言えるだろう。その点で自分は大きな反省をしなければいけなかった。なぜなら、自分の取り組みを振り返ってみると、最初のグループでは上記の意識で取り組むことができたが、インフルエンザで本番を欠席してしまいみんなに迷惑をかけてしまった上、新しいグループに加えてもらっておきながら直前まで当事者意識を持つことができず、visitorとして臨んでしまったように思えるからだ。
今まで自分が受けてきた英語の授業を思い返してみても、先生の授業に対する取り組みというものは生徒にも当然のことながら伝わるし、英語が好きになっていくのは毎回の用意周到な授業の積み重ねに他ならないが、英語が嫌いになるのは一回の手抜き授業でも十分にありえるということを踏まえた上で、毎回毎回の授業が真剣勝負であるという当たり前のことを忘れずに、教訓として胸にしまっておきたい。
授業の技術的な側面でも貴重なことをたくさん学ばせていただいた。中でも、授業中の英語の使用量を増やすことと、発音指導がこれから益々重要になってくることを実感することができたのが良かった。ただ、実際に模擬授業をやってみてそれが想像以上に難しいことが分かった。単に教師が英語を喋ればいいわけでも、生徒に音読させればいいというわけでもない。そこに意味理解やイメージの想起が伴っていなければ単なる自己満足と英語を使っているような錯覚で終わってしまう。そのことを深く痛感した。
教師の英語使用に関しては、良きお手本になるよう正しい発音で話すことは必須条件として、さらに一歩踏み込んで発音指導となると、どれだけ注意深く一人一人の生徒を観察できるかが大切になってくる。確かに1文ずつコーラスリーディングをしている時などでも、ある程度なら発音をチェックすることができるかもしれないが、集団相手では大雑把にしかできないだろう。個人レベルで発音を見てあげるためには授業形態やアクティビティで工夫をしていくしか方法は無いように思われる。また、教師が生徒のことを想い、妥協せずに根気強く発音指導していく必要がある。授業に慣れるまでは机間巡視なども効果的になかなかできないものだが、生徒集団を相手にしている意識ではなく、あくまで一対一で臨んでいる意識を持ちたいと思った。自分が受けてきた中・高の英語教育で一度として発音を丁寧に教わった経験がなかったので、その分興味深いし、チャレンジのしがいがありそうだ。
また、生徒のリスニングや音読については、疑問点や課題が多く見つかった。単に音を聞いて、声に出すという段階も最初のうちは慣れるためには必要であると思うが、次の段階に進むにあたり、空読みや空聞きの問題などを考えるとそれほど単純でないことが分かる。リーディングやリスニングといった内的な活動を、教師が生徒を観察するだけでチェックするのは困難というより不可能だし、英語を勉強し始めた中学生なら尚更、生徒自身もどこまで自分が読めていて、聞けているのかが分からないのではないかと思う。Q&Aや各種のアクティビティで内容理解を確かめる方法はあるかもしれないが、どこまでが純粋に英文から汲み取ったものであるか分からないし(もしくは分かる必要もないのかもしれないが)、内容が分かったところで、各個人で英文の読みや聞きの深さも違うはずなので、到達目標も設定できないのではないだろうか。
いきなり母国語である日本語と同じレベルを目指すのは明らかに無理だし、母国語でさえFour Skillsに各個人で差があるわけだから、そういうことまで考え出すとキリがないわけだが、もう少し具体的な各段階での設定目標が必要になってくると思う。今回高校の英語教材を使用してもそう感じた。
最後に、まだまだ大学の授業や読書からの学びも少なく、優れた英語授業実践者からの気付き、現場での経験が未熟な自分が言うのはおこがましいが、やはり英語は体育や武道と同じく地道な反復と努力が必要で、頭だけでなく身体に覚え込ませていくものだと思う。教師は生徒が中学、高校で徹底的に英語の基礎を身に付けることができるように配慮すべきだし、生徒の実態に合わない難しい教材を使用し、表面的なコミュニケーション活動をすることで、英語を使えるような錯覚を起こさせることは絶対にしてはいけないと思った。闇雲に英語の習得が困難なものであると思わせるのは良くないが、体育の授業を受けているだけでオリンピック選手には育たないように、英語の授業だけ受けてれば6年もしたら聞いて喋れるようになるといった幻想は払拭しないといけないと思う。学習方法なども指導し、更に上を目指す者は自学自習ができるよう、生徒の将来のことを真剣に考えて英語教育ができる教師を目指したい。
