私が「きょうだい」について強烈に意識しだしたのは、去年くらいからだった。
きっかけは、朝日新聞の「ひと」という欄に昨年の1月に掲載された記事だった。
その記事には、自閉症と知的障害を持つ妹を主人公にして映画を製作した大学生が紹介されていた。
その映画の題名は「ちづる」。
別の日にテレビで少しだけその映画が紹介されているのを見ただけで、未だにその映画を最初から最後まで見たことはない。
でも、映画の主人公のしぐさや笑った雰囲気が、どことなく自分の姉と似ている雰囲気だった。
自然と重ねて見ていたのかもしれない。
新聞の記事を読んで、映画のことを知って、私は頭を激しく殴られたような感覚を抱き、そして、自分自身を情けなく思った。
私は知的障害を持った姉の存在を、どんなに親しい友達にも打ち明けてこなかった。
打ち明けたら、自分に対しての見る目が変わってしまうのではないかという心配と、どうせ分かってはくれないだろうと思っていたからだ。
その一方で、姉の存在を隠していることに後ろめたさも感じていた。
何度も何度もそれとなく打ち明けようと思ったこともあったけど、やっぱり寸前のところで言うのをやめることが多かった。
新聞記事を読んで、この「ちづる」という映画を製作した大学生も、これまで同じ思いを抱いてきたのだなということが分かった。それでいて、映画を製作してしまうなんて、すごいと思う一方で「なんで?」とも思った。私だったら絶対にしない・・・できない・・・と思ったからだ。
映画を製作した大学生よりも何歳も年上の私が、未だに姉のことでどこか存在を明かすのは「恥ずかしいこと」と思っているのは、情けないことだなと思った。
この記事を読んだことをきっかけに、「きょうだい」についてとても興味が出始めた。
そして、私も姉のことについて向き合おうと思うようになった。
それまでは、ずっと逃げていた。
逃げて、見て見ぬふりをしていた。
でもいつかは向き合わないとならなくなるとは心のどこかで思っていた。
それでも周囲に理解してくれそうな人はいなかった。
話が少しでもわかってくれる、聞いてくれる人がいればいいのにと思いつつ、時間がどんどん流れて行った。
自分ことだけ考えてればいい・・・。
そんな風に自分勝手に考えてた自分が今となっては恥ずかしい。
