平成20年、市教委に(※何故独立した組織なのに市教委にお伺いを立てなければならないのかは意味不明。有力説に市教委=スポンサーというものがあるが、たまたま市教委ではなく市プロパーの財政改革会議の何やら部会というのの委員になった時、予算削減が必須みたいなことを言うから、「ちなみに市教委はPTAにいくらの予算を計上しているのですか?場合によっては構いませんが。」と聞いてみたが、市の理財の人が「市教委全体としての予算は把握していますが、あちらに渡ってからその内訳は我々が完治するところではありません。」と言われ、「アカンやろ!」と、思いつつも結局会長をやっても、市教委がPTAに付けている予算の総額を把握することはできなかった。ただ、市教委スポンサー説論者の人に一言言って退けたいのは、市、市教委の予算の出所は、「市民の税金」つまり、我々、故に、そこにお伺いを立てる・・は、やはりおかしいということだ。・・と、考えたら、「国」・・だって同じことやんね。だって、公務員って、英語ではCivil Service だもんね。市民、国民の為に働いていただかないと・・・。)「カタチから心へ」という、同時に就任予定であった地元小学校PTAのスローガンと同じスローガンを掲げることを条件に、京都市小学校PTA連絡協議会の会長に就いた。それまでは、特にスローガンというのは掲げられていなかったのではないかな・・。
「カタチから心へ」というのは、当時形骸化していたPTAに魂を入れよう・・というものだった。
平成17年に初めて会長をした時、月1のPTAの諸々の決定機関である「実行委員会」という会議にTシャツとジーンズで出席していたら、5年ほど前の同じ会議を知る仲間から、「ホリエモンみたい。」と言われた。当時はスーツが暗黙のドレスコードだったらしい。
そう言えば、私もその数年前に保体委員のペーペーとして給食試食会の手伝いをしていた時、本部役員の人達はシャネル型スーツを来て、さも来賓みたいに来てたっけ。
が、私達は、PTA本部役員というのはあくまでも保護者の「代表」であって、偉いとか上に立っているとかそんなんじゃないから・・というスタンスで、普通に手伝った・・というより、率先して動いた。
何故今頃、そんな話を持ち出しているかというと、選挙結果がどうであれ、世の中の、その「カタチから心へ」の流れは、もう止められないんじゃないか、と、思ったからだ。
そして、そのことに希望を持っているから。
どんな時代においても「内心の自由」は誰にも侵せない。と、私は思っている。
そして、それが繋がる力が、今の時代にはある、と、思っているからだ。
携帯電話が普及して、インターネットが普及して、さらにスマートフォンも普及して・・。
家の誰かに電話を取り次いでもらう時代が去り・・・。
弊害もある・・とは言われているけれど。
それで崩れるような「カタチ」はなくなればいいわけで、
「心」のままに動けることにより、「カタチ」も保ちやすくなる・・ということもあるかもしれない。
「カタチ」を追求すると、その変わらなさ、変えられなさに、イライラするかもしれない。
でも、自分の「心」は、今、すぐにでも、変えられるのである。
「カタチから心へ」というのは、当時形骸化していたPTAに魂を入れよう・・というものだった。
平成17年に初めて会長をした時、月1のPTAの諸々の決定機関である「実行委員会」という会議にTシャツとジーンズで出席していたら、5年ほど前の同じ会議を知る仲間から、「ホリエモンみたい。」と言われた。当時はスーツが暗黙のドレスコードだったらしい。
そう言えば、私もその数年前に保体委員のペーペーとして給食試食会の手伝いをしていた時、本部役員の人達はシャネル型スーツを来て、さも来賓みたいに来てたっけ。
が、私達は、PTA本部役員というのはあくまでも保護者の「代表」であって、偉いとか上に立っているとかそんなんじゃないから・・というスタンスで、普通に手伝った・・というより、率先して動いた。
何故今頃、そんな話を持ち出しているかというと、選挙結果がどうであれ、世の中の、その「カタチから心へ」の流れは、もう止められないんじゃないか、と、思ったからだ。
そして、そのことに希望を持っているから。
どんな時代においても「内心の自由」は誰にも侵せない。と、私は思っている。
そして、それが繋がる力が、今の時代にはある、と、思っているからだ。
携帯電話が普及して、インターネットが普及して、さらにスマートフォンも普及して・・。
家の誰かに電話を取り次いでもらう時代が去り・・・。
弊害もある・・とは言われているけれど。
それで崩れるような「カタチ」はなくなればいいわけで、
「心」のままに動けることにより、「カタチ」も保ちやすくなる・・ということもあるかもしれない。
「カタチ」を追求すると、その変わらなさ、変えられなさに、イライラするかもしれない。
でも、自分の「心」は、今、すぐにでも、変えられるのである。