私は父と母が結婚して15年目に生まれた一人っ子。
そして父は私が二十歳になる直前に亡くなり、その時から周囲は誰しも「母の面倒は私が見る」と思うようになった。

大学4年の頃、それまで「家でも続けられる仕事を」と、翻訳家を目指していたこともあったのだが、バブル期の超売り手市場だったあの頃、周りの友人の就職熱に流され、「一般社会を見るのも悪くないかも知れない。」と、当初「ナショナル・アイデンティティー」に関わりたいと思い、それなら…と、一社だけ大手の広告代理店を受け、ダメだった後、「ここになら営業でも何でも貢献したいと思える」と、当時まだ存命だった祖父が創業した会社を受けることにして、面接を受けた際、「転勤になったらどうしますか?」と質問されたので、「もちろん、東京にでもどこにでも行きます」と、答えたら、「お母さんはどうすんの~。」と、面接官同士顔を見合わせて笑われ、「お前が聞いたから答えとるんやろうが~(怒!)、そう思っとるんやったら最初っから聞くなあ~~~~(怒怒!)」と、思うと同時に「だめだこりゃあ(ここに行けば、そこを配慮されてしまう。。)。」と思った。結果、当時は女性の文系の総合職は採っていなかったと言われるけれど、だとしたらそんな質問はないはずで、私の面接も事業所で行なわれたはずだが、結果、大阪事業所採用の一般職と判ったのが入社の数日前、祖父と、「では、ブライトンで」と言っていながら、私の行く場所は大阪事業所だったことから判明したのだった。
ああ~・・話が逸れた・・。

で、その後、初の孫ということでどこも引き受け手がないまま(だったらしい)、唯一引き受けてくれたらしい宣伝部で仕事をしたら、時期が時期だっただけに、午前様のような日が続き、母に起きて待っていられるのが鬱陶しくなり(ちなみに当時お手伝いさんもいた。私は二人とも寝てくれても全然平気だった。)、「先に寝といて」と告げた頃、母の方には母の方で誘いがあり、そこから転落?するようになり・・・


う~~~ん、何と言うんでしょうね、大学卒業して入社して60歳が定年だとしたら、およそ48年働いて定年な訳ですよね。
親子(母子)関係が重過ぎて、相手が年取って弱っているのは重々解っていても、また、ほんとうに必要とされるのはこれからと解っていても、端から見て、ここからケアしなかったとしたら人非人と思われることが解っていても、お役御免被りたい気持ちになったり、今の私がこんななのは母のせいだと思ってみたり…。
母が元夫とそりが合わず(私が引き止めなかった理由はそれだけではなかったのですが)、マンションで一人暮らしをし出して10年以上経った後、入院して退院した後に暫く家で一緒に暮らすと、必ず私がどこにいるのか探されるし、外出していても帰りが夕方6時を過ぎるとどこに行ったのか心配されるし、その全てが負担で、私自身が別棟になっているところやおよそいるだろうと思われない場所に息を潜めたり、ある時は、お風呂場の窓から外に脱出して物置に潜伏してみたり…。
そういう場面になると、もし精神科医に相談すれば十分精神異常だと認定されそうな状態になり、過去に長患いすることなく亡くなった自分の父親の他の自分の母親、元奥さんの両親を看取り、年取った親は看るのが当たり前と思っていた旦那でさえ、私がその状態なら無理…と思うようになり、そのこと(母とは暮らせないこと)を自分で言えない私に代わって伝えてもらってまた別々に暮らすことになり。
色々な経緯があり、今母は母の最後の実家にほど近い介護付きマンションに落ち着いて、私も徐々に落ち着いて来ました。

この間受けたセッションで、「私が母に同情することで母の私に対する執着?執着に基づく行動が弱まり、私自身の健康状態も良くなる」「私が母との関係を改善することが、私と娘達との関係の改善にも繋がる」と指摘されたことがとても腑に落ちました。
自分がおかしくなっている中、「母のこういうところが受け容れられない」と思いつつ、「何故母がそうなったのか」について考える中、母の必ずしも幸せとは思えないこれまで…を想うことも多かった。それが判っても尚、再び向き合うには時間が必要だったりしたのですが・・。

家族間の様々な思いは、これまで門外不出とされていて、そのことが色々な人を傷つけているような気がします。
もしかしたら、母もその一人だったかも知れない。
世の中の道徳?常識?こうあるべきと思わされているもの?は、かなりの部分「為政者」「支配者・支配する立場の人」にとって都合がいいように成り立っていて、それに沿って生きることは、往々にして個を幸せにはせず、幸せじゃない個はその周りも幸せにできないと思う。だからその連鎖を断ち切りたいと思います。

母には下にきょうだいが6人(存命なのは5人)いて、間接もしくは直接「母を悪く言うのはやめてくれ」と言われます。
悪く言うのではなくて事実をそのまま述べたら悪く行っているように聞こえるのはどうしたらいいの?と、思っていたこともあります。
正直、私は一人で母を含め、母を守りたい人達に向わなければならないのはどうしたらいいの?と、思ったこともありました。でも、今、その方々は母に対して本当によくしてくれて、助けてもらっています。なので感謝の気持ちしかありません。

そういう意味で、セッションの前日に読んだ「青空としてのわたし」という本に、「自分の本質は、誰しも“青空”で、悩み・憎しみetcは“雲”である。雲が自分であると勘違いしてはいけない。」というようなことが書かれていました。
その文脈で言えば、私自身は、自分自身が、また母自身が雲である・・と思っていた時期を経て、ある意味雲が晴れつつあるところにいます。

なので、今は、母も私も本質はどちらも青空で、悩んでいた、立ちこめていた雲の正体を理解して、なるべくそういう雲が立ちこめないようにするにはどうすればいいか、ということを考えたいと思うようになりました。
そこで、「母と私」というテーマに「常識と不常識」というサブタイトルを付けて、母と娘を覆いがちな「雲」について考えていきたいと思います。

そのことが、これまで私が母についての葛藤を語る時、「これまで誰にも言えなかった、言ってはいけないと思っていたけど」という前置きを付けて自信の母との葛藤を語り始めた多くの「娘」達に少しは役立つかも知れないと思いつつ…。