今日は車で母のマンションまで往復したので、こんな日が一番書くチャンスがない。
子ども達と旦那がいるので(どちらかというと私の場合“旦那がいるので”)タイムリミットは晩ご飯の支度まで。
既に今日は旦那が帰って来て昨日釣った魚については用意しかけてくれているので尚更急がねば!
今日は朝歩いている時からどのことを書こうか、色々と考えていた。
ネタはあり過ぎなのだ。
そこで、結局一番ホットなネタに・・・。
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私は高校時代、ある駅まで地下鉄で行き、そこからバスに乗り、学校に通っていた。
ある日、クラスは一緒ではなく、特に話したことがあるわけではないけど、お互いに存在は知っている、同学年の、学年でもとても可愛いと男子から評判の女の子と同じバスに乗り合わせた。
その子は先に並んでいたので座っていて、私がちょうどその横に立つことになった。
別に喋らなくてもいいのかもしれないけれど、何となく知ってるのに喋らないのも気まずいと思い、その後、何かと話題を振って、学校到着までの30分ほど話し続けたような気がする。
またある時、叔母から議事見合いで、友達の息子さんというのを紹介されたことがあるのだが、デート?コースを考えるのも私で、車を出すのも私で、その人と会ってる間中、適当な話題を見つけて喋り続けた記憶がある。
その後、「とても楽しかったからまた会いたい」と言ってもらったが、こちらにしてみれば、「そりゃあ楽しかっただろうさ。こっちはクタクタです。」だったので、そういう意味ではお断りした。(が、しかし、興味深い人ではあったので、お互い結婚した未だに年賀状のお付き合いは続いているf^^;。)
コンパニオンが来る宴会でも、上司に連れて行かれたオネエチャンがいる飲み屋でも、気が付けば私の周りにオネエチャンが集まっていて、内心「私も客だ!」と、叫びたくなる。
それらはどの場合も結局は「自分がその時間退屈せずに過ごす為」とも言えるのだが、その技術?を磨いてくれたのは、紛れもなく母だったと思う。
私と違って母は、とりあえず昔から綺麗と評判な人なので、「にっこり笑って座っていれば」いいタイプ。
家でもその調子なので、一人っ子の私は、そういう「自分からは身内のうわさ話以外ほぼ何も話題を提供することがなく、黙ってニッコリ座っている人」を前に、その人をエンターテインすることを半ば義務づけられて来たのだった。
その道40余年。
「営業用」には今でもできる。
でも、ある時そのことに気が付いてしまって疲れて以来、「お務め」ができなくなってしまっていて、今日なども、「かつてどうしていたか」も思い出せない自分がいて、ひたすら気まずい沈黙が流れるのであった・・・。
そしていたたまれなくなって、「買い出し」に出たりして・・・。
私と母に関しては、もう役割分担ができてしまっているので、今更母に話題をふってもらおうとも思わないし、結局は私がまた心を入れ替えて話題を振るしかないと思うのだけれど、まだそこに陥っていない人達に伝えたいのは、それぞれに「自分の人生」を生きてほしい、ということだ。
何かの事情でそれしかできないなら仕方がないかも知れないが、誰かを通して社会を見るのではなく、自分自身で社会を見てほしい。
一人一人立ち位置も考え方も違うわけだから、同じ世界を見ても全く違う見え方をすることこそが尊く、面白く、会話とは、その交換だと思う。
誰かが一方的に話したり聞いたりするのではなく、お互いに話したり聞いたりしてこそどちらの負担にもならないと思うのだけど・・・。
あ、19時になってしまった!
今日はこの辺で・・・。
子ども達と旦那がいるので(どちらかというと私の場合“旦那がいるので”)タイムリミットは晩ご飯の支度まで。
既に今日は旦那が帰って来て昨日釣った魚については用意しかけてくれているので尚更急がねば!
今日は朝歩いている時からどのことを書こうか、色々と考えていた。
ネタはあり過ぎなのだ。
そこで、結局一番ホットなネタに・・・。
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私は高校時代、ある駅まで地下鉄で行き、そこからバスに乗り、学校に通っていた。
ある日、クラスは一緒ではなく、特に話したことがあるわけではないけど、お互いに存在は知っている、同学年の、学年でもとても可愛いと男子から評判の女の子と同じバスに乗り合わせた。
その子は先に並んでいたので座っていて、私がちょうどその横に立つことになった。
別に喋らなくてもいいのかもしれないけれど、何となく知ってるのに喋らないのも気まずいと思い、その後、何かと話題を振って、学校到着までの30分ほど話し続けたような気がする。
またある時、叔母から議事見合いで、友達の息子さんというのを紹介されたことがあるのだが、デート?コースを考えるのも私で、車を出すのも私で、その人と会ってる間中、適当な話題を見つけて喋り続けた記憶がある。
その後、「とても楽しかったからまた会いたい」と言ってもらったが、こちらにしてみれば、「そりゃあ楽しかっただろうさ。こっちはクタクタです。」だったので、そういう意味ではお断りした。(が、しかし、興味深い人ではあったので、お互い結婚した未だに年賀状のお付き合いは続いているf^^;。)
コンパニオンが来る宴会でも、上司に連れて行かれたオネエチャンがいる飲み屋でも、気が付けば私の周りにオネエチャンが集まっていて、内心「私も客だ!」と、叫びたくなる。
それらはどの場合も結局は「自分がその時間退屈せずに過ごす為」とも言えるのだが、その技術?を磨いてくれたのは、紛れもなく母だったと思う。
私と違って母は、とりあえず昔から綺麗と評判な人なので、「にっこり笑って座っていれば」いいタイプ。
家でもその調子なので、一人っ子の私は、そういう「自分からは身内のうわさ話以外ほぼ何も話題を提供することがなく、黙ってニッコリ座っている人」を前に、その人をエンターテインすることを半ば義務づけられて来たのだった。
その道40余年。
「営業用」には今でもできる。
でも、ある時そのことに気が付いてしまって疲れて以来、「お務め」ができなくなってしまっていて、今日なども、「かつてどうしていたか」も思い出せない自分がいて、ひたすら気まずい沈黙が流れるのであった・・・。
そしていたたまれなくなって、「買い出し」に出たりして・・・。
私と母に関しては、もう役割分担ができてしまっているので、今更母に話題をふってもらおうとも思わないし、結局は私がまた心を入れ替えて話題を振るしかないと思うのだけれど、まだそこに陥っていない人達に伝えたいのは、それぞれに「自分の人生」を生きてほしい、ということだ。
何かの事情でそれしかできないなら仕方がないかも知れないが、誰かを通して社会を見るのではなく、自分自身で社会を見てほしい。
一人一人立ち位置も考え方も違うわけだから、同じ世界を見ても全く違う見え方をすることこそが尊く、面白く、会話とは、その交換だと思う。
誰かが一方的に話したり聞いたりするのではなく、お互いに話したり聞いたりしてこそどちらの負担にもならないと思うのだけど・・・。
あ、19時になってしまった!
今日はこの辺で・・・。