マタイ 19章


1~2節 ガリラヤを去ってユダヤ地方へ行く

ガリラヤ地方を去ってユダヤ、そしてエルサレムに向かって進んで行かれた。
→ イエス様がガリラヤで直接伝道することは終わった。

イエス様について来た群衆をいやされた
→ イエス様のあわれみ


3~12節 離婚について

パリサイ人たちはイエス様を試そうとして離婚について質問した

※ユダヤ人の中には離婚に厳格な派と寛容な派があったので、どちらの派に片寄っても非難される

イエス様は創造の秩序からお答えになった
神様は男はひとりの妻だけを持つようにされた。
結婚はふたりの人が結び合わさったので、離婚するべきではない。

パリサイ人はイエス様の答えに「律法では離婚が認められている。」と反論した。

律法で離婚が許される原因はイスラエルの堕落によるもので神様の理想は離婚が無いこと

不貞以外に離婚の正当な理由となるものはない。


弟子たちの極端な考え
結婚した状態で罪を犯すことを避けるためには結婚しないほうが良い。
→ 独身でも罪を犯す可能性があることを考慮していない。


三種類の独身者
①子供をもうける能力を持たないで生まれた。
②人によって去勢された。
③天の御国のために独身者になった。

※独身でいる能力は特別な恵みを与えられた者だけが持っている(11節)


13~15節 幼子を祝福される

親たちが子どもたちを祝福してもらうために連れて来たが、弟子たちが彼らをしかった。
→ 弟子たちは子どもを邪魔者扱いをした。

イエス様は「子どもたちを許してやりなさい。」と言われた。
→ マルコ10:14では、イエス様が憤って弟子たちを叱っている。

※主のしもべは、子どもたちに神のことばを伝えなければならない。
子どもたちの単純な信仰を認めなければならない。

※幼児洗礼を認めたわけではない。


16~26節 永遠のいのちを求める青年

ひとりの青年がイエス様のもとに来た。

※マルコ10:17では「駆け寄り、ひざまずいた。」と書かれている。
ルカ18:18では「ある指導者が」と書かれている。

イエス様を「先生」と呼んだ
→ イエス様が救い主だと知らない。

「何をしなければなりませんか?」
→ 救われるための方法について無知

※永遠のいのちは神様の賜物であることを知らない


方法によっていのちが得られないことを教えるために戒めを守るように言われた。

青年はすべてを守っていると言ったので「財産を売って貧しい人に与えて従って来るように」言われた。
青年は悲しみながら去っていった。
→ 戒めを守れていないことが明らかになった


金持ちが御国に入るのは難しい
→ 富が偶像になって、神様より富みに頼って手放すことが出来ない


※天国は子どもたちのものであるが、大人が御国に入るのは難しい。

救いは神様にしか出来ない(26節)



27~30節 従う者が受ける祝福

ペテロが、イエス様が青年に言われた「すべてを捨てて、従って来なさい」を聞いて、
「すべてを捨てて、従っているので報酬はなんですか」と質問した。
→ 主と取引をする自己中心的な考え


イエス様のためになされたことは、気前よく報われる(28~29節)

12弟子は千年王国で権威ある地位に着く(28節)


すべての信者はキリストの裁きの座で報いを頂ける(Ⅱコリント5:10)

イエス様のために、家族や財産を捨てた者は百倍もの報いを受ける
→ 救われてからの歩みに対する報い

※永遠のいのちは恵みによって無償で与えられる。


先の者があとになり、後の者が先になる
→ 弟子になった者が幸先よく踏み出しただけでは不十分である

報酬はどのような精神で仕えたかに関係していることを教えるために次の章がある。