関西で活動する音楽グループConceptusのブログです。

 

モツレクも無事終わりまして、

すぐ「藤戸」の方に集中しなければならなくなりました。

チラシはこちら。

 

 

モツレクのチラシにも増してインパクト大ですねえ。

裏はこちら。

 

 

拡大できる方はあらすじを読んで下さいね。

 

源平合戦の中で、一の谷の合戦と、屋島の合戦の間にあった、

今の倉敷市での合戦のお話です。

源氏方の武将、佐々木盛綱が、海を隔てた五町(約500m)向こうの

平家方に攻め入って勝利、讃岐の屋島に追い落した合戦のお話。

この海は、後に干拓の対象になるほどの浅瀬があり、

馬で渡れることを漁師に教えられるものの、

盛綱はその漁師が源氏方の他の武将に喋って、

自分の先陣の功がなくなることを恐れ、

漁師を刺し殺して海の中の岩陰にその死体を捨てて隠蔽します。

 

源平合戦終息後、その戦功によってこの地域の領主となり、

赴任した際に一人の女が子供を返せと訴え出てきたが・・・

というのがこのオペラのあらすじです。

 

オペラはオペラとして、

この作品には発起人は妙な因縁があります。

まず、この話は平家物語を基に室町時代に能楽となり、

昭和になって作家の有吉佐和子が文楽台本にし、

それを原作としてオペラ化されたわけですが、

実は、有吉佐和子さんとは遠い親戚にあたります。

祖母の祖母の妹婿の姪が有吉佐和子さんなのです。

これは、このオペラを知ってから知ったことです。

 

そして、オペラの中で盛綱が歌う、

「あれなる岩陰のこなた、水深く沈めしが・・」

その岩がどこにあるかというと、

これが醍醐寺三宝院の庭石として鎮座しています。

 

http://ameblo.jp/himeyuri/entry-11816412780.html

 

ご存知の方はご存知でしょうが、

発起人は真言宗の僧侶であります。

そもそもは高野山で僧侶になったのですが、

現在、三宝院流憲深方洞泉相承の一流伝授を受けており、

来月半ばに成満して、傳燈大阿闍梨となります。

これは拝み方の流派ですが、この三宝院流とは、

上記の醍醐寺に発した流派で、

醍醐寺の塔頭、三宝院の名前が冠となっています。

その三宝院にその岩、「藤戸岩」がある・・・

それを知ったのはつい最近です。

 

本日、某寺院で月例護摩を修しましたが、

オペラの上演成功と共に、

藤戸合戦の死者慰霊と、佐々木盛綱公の増進仏果を、

添え護摩木に書いて祈願してまいりました。

仮にも実際にあった合戦を扱うオペラですから。

 

・・・まあ、こういう祈願を自分で出来る。

これは、真言行者になって良かったと思える点ですね。(笑)