おはようございます!

今日はいいお天気です^^




ブログをやっていて、写真なんかも載せていて、

パラパラと写真だけ見られるようにしたいなぁと思っていました。




今回地震があり、たくさんの爪痕を写真として残しておくのも、

やがて薄れていく今の感情や記憶を呼び起こしてくれていいのかなと。

今後の自分への戒めになればいいかなと思い別で立ち上げました。




お暇があれば見てみてください☆

地震関連の写真はもちろん、

色んな宮城、仙台、東北、その他の地域の写真を撮り次第アップしていきます!

http://ameblo.jp/sendai-cona/




よろしくお願いします(。・ω・)ノ゙






仙台、雨が降ってきました。

何だかとても嫌な匂いのする雨です。

気分的にも落ち込みそうな天気ですが、

何とか気持ちをしっかり持とうと思います。



本当に残念なことですが、おかしなチェーンメールが飛び交っています。

経験されていない方に分かれと言っても難しいことですが、

普段であればおかしいと気づくことも、

素直に受け入れてしまう現状にあることをご理解いただきたい。

そのくらい今はみんな心の余裕などありません。



今日は少ないガソリンを使って利府方面へ子供の食べ物の調達に向かいましたが、

残念ながら手に入れることができませんでした。

紙オムツやベビーフードはなかなか手に入りません。

うちの子は1歳なのでまだいいですが、

ちょうど離乳食が始まったばかりの子たちはどうしているんだろうと思っています。



仙台、またはその近辺にお住まいの方で、

給水関係、お店の開店具合、ガソリンが入れられる所など

情報があればぜひ教えていただきたいです。



そして原発の状況があまりに良くないですね。

一体どのくらいの被害が及ぶのか、

目に見えない怖さと不安がつきまとっています。

夫の親類がたくさん住んでいますし、

とにかく最小限に被害を食い止めてほしいというのが今の願いです。



またきます、頑張りましょう。




とりあえず私が住む宮城県仙台市宮城野区、
ここは一部電気が復旧しました。
泉方面も復旧した所多く、仙台中心部市街地も早めに
復旧した所が多いようです。


毎日夜が長くて怖くて不安で、
ひたすら続く余震に怯えて正直気持ちを保つので精一杯です。


我が家のマンションはロビーの天井が崩壊、
外壁はひび割れも多く、
この先ここにいて安全かどうかの保障はありません。
強い余震がまた来る可能性は高いらしく、
次の余震で崩れることもあるかもしれない。
津波の水は隣町まできていたらしく、
本当に生き死には紙一重だと感じています。
実家に帰ろうかとも思いましたが、今はここにとどまることにしました。
子供がいる以上むやみに動くのは危険なんです。


ガソリンも買えない、水もないしガスも使えない。
それでも電気が復旧してくれただけで
今こうやって現状を伝えることができるんです。


光回線は使えないから、WiMAXの無線ルータから接続して
やっとネットにつながりました。
DOCOMO携帯は家の中では全くつながりません。
災害掲示板も繋がらないんじゃ意味ないんですよね。


夫の実家は福島だし、原発の心配でいっぱいです。
計画停電やら節電やら、
すべての協力してくださっている方々に感謝しています。


私はあの日仙台の街中、一番町の某ビル6階で働いていました。
まだ新しいビルなので、建物を一緒に振って耐震をする構造の為、
実際の揺れよりも激しかったように思います。
デスクの下にみんなで隠れ、実際は3分ちょっとの揺れだったようですが
30分以上揺れていたように感じました。


だいたい激しい揺れがおさまった頃、みんなで外へ出ました。
外には複数のビルから出てきた人たちでごった返していました。
でも市街地の建物はみんな普通に建っていました。
揺れのわりには大したことはないのかもしれない、
そんな安易な考えで帰るためバス乗り場に向かいました。


バスは早々に打ち切られ、仙台駅まで歩いてみることにしました。
駅に行けば交通手段が何かあるだろうと思ったからです。
けれど仙台駅にはさらにたくさんの人たちで埋め尽くされていました。
仙台駅自体も各場所がボロボロになっていました。


タクシーもバスも当然電車も乗れないことはすぐにわかりました。
どうしようもないので3時間歩いて帰りました。
あんな地震がきた日に限って、強い風と雪が吹き付けました。
夫にメールを送りたいのに手がかじかんで思うようにうてず、
だんだんイライラしてきていました。
3時間歩いている中で、寒さと現実と繋がらない携帯に
冷静さを失っていました。


夫は幸い仕事が休みだったので、

すぐに子供の保育園へ迎えに行ってくれました。

保育園は建てたばかりの耐震もしっかりした所だと分かっていたので、

パニクって怪我でもしていなければ大丈夫だろうと分かっていました。
それよりも6階にいた私が心配だったらしく、
やっとたどり着いた時には本当にお互いホッとしました。


マンションが危ないので近くの公民館に避難させてもらいました。
そこは定められた避難所ではないので支給は一切きません。
それでも町内の協力で持ち合った食べ物がたくさんあり、
後から聞いた話では他の避難所に比べ天国のような所だったようです。
私たちも何かお返ししなくてはと、次の日夫が何時間も並んで
食べ物を買ってきてくれました。
ご近所付き合いなんか全くなかったのに、色んな人と知り合うことができ、
悪いことばかりではないと思いました。


最初は20人近くいた人たちも、実家や関東方面に親類を頼って
次の日には出発していました。
私たち家族とほかの2家族が残り、練炭を持っている家へ行きお湯をわかしてもらったり、

山水がでる家へ行きトイレ用の水をもらったりしました。


昨日の夜から電気が復旧したので、今日からマンションに戻っています。
電気があるだけで昨日できなかったことがたくさんできます。


辛いことが大半ですが、家族の存在と人の繋がりに対する考え方が
大きく変わりました。
とにかく今は頑張って協力して生きること。
何より子供を守ること。
この子の笑顔を絶やさないよう、何が何でもふんばらないと。


車で10分かからない場所に、
グランディ21という体育館があります。
そこは今遺体安置所になっていて、たくさんの方が眠っています。
まだ見つかっていない方も含め、
どうかせめて少しでも早く身元が分かって
ご家族のもとへ行くことができますように。


そして生かされた私たちがこの先の人生をどう生きるか、
亡くなった方に失礼のない生き方をしなくてはならないです。
重くもあり、自分の礎にもなる。


電池や卓上ガスコンロ、紙類水類、とにかく電気ガスがなくても
生活できる物を備蓄しておくことをお勧めします。
いつ何が起こるか分からないことは、
きっと皆さんも感じたはずです。


心配してメールをくれた方々、心より感謝申し上げます。
返信なかなかできませんがいつもそう思っています。
まだまだ油断できませんので頑張ります。
長文読んでいただきありがとうございました。



conatsu