25年前の5時46分
私は、中学生ふたりの息子のお弁当を作っていた。
娘は、小学生。
まだ、先代犬も飼っていなかった。
私が住んでいる京都は、震度5
それでも、私が生まれて初めて体験する地震の強さでした。
子供たちの部屋へ行き、安全を確認し、毎朝の出勤までの用意に追われていた。
私たちの世代、どういう状況にせよ会社出勤が当たり前の時代
毎朝7時に家を出る車通勤だったので、地震災害の情報もまだ詳しく出ていない状態でした。
会社に向かういつもの道、ビルの窓が割れていたり、屋根が落ちていたりで予想外の有様。
8時に会社に着くと会社での建物の壁や天井も落ちていたり、電話も繋がらない。電車通勤以外の社員だけでした。
テレビで初めて震災の状況がわかってきました。
その頃の阪神、淡路
言葉に出ません。
ご冥福をお祈りします。

毎日、いつもの普段の生活ができることの大切さをその時に、そして、今日もありがたく思います。