カンボジアで、もいもい。

カンボジアで、もいもい。

青年海外協力隊、青少年隊員のカンボジア日記。
もいもい=クメール語で①ゆっくり②ひとつずつ
ゆっくりでも地に足つけて活動をするのが目標です。

カンボジアで運動会やりますよー∩( ´∀`)∩

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新年度始まりましたね。

新生活を迎えられたみなさん、新しい環境は楽しんでますか?

コートを脱いで春服で通勤♪とか考えるだけでわくわくします(´∀`)




さて、そんな私は新生活どころか、残り任期もあと少しという先月あたり、

カンボジアの生活にうんざりして何もかも停滞していました。



以下、ほぼ愚痴ですが、「協力隊あるある」な一面も含んでると思うので、書き留めておきます。



きっかけはモデル校S

失礼な言い方ですが、とにかく秩序というものがありません。


先生も生徒も授業に対するモチベーションがあまりに低く、

どちらの出欠も誰も管理せず自分の勝手な都合、という有様。


「日本とは違っていろいろな事情がある」とは言え、

それがやむを得ない事情ばかりではない。

生徒や校長に問題意識を持つように伝えても改善される気配もなく。

トゥクトゥクで往復1時間$7かけて授業に行っても肝心の生徒がいない、なんてことはざら。



時間とお金を無駄にしている。

それでも上辺では「生徒のために諦めずに授業に来てほしい」といわれる。

でもやっぱり肝心の生徒がいない。



なんなのこれ。
もう、やってられるか。



もう、こうなるとネガティブ思考は止まりません。


初対面なのにぶしつけな質問をしてくるカンボジア人、
クメール語をしゃべる外国人をからかってくるカンボジア人、
私のクメール語を繰り返してからかってくる生徒、


今まで当たり前だった、カンボジア人の一挙一動にイライラするようになりました。


「早く日本に帰りたい」とにかくそれだけで、日本での新生活について考えることで気を紛らわしていました。




帰国したら仕事何しよと思ってなんとなく登録した転職サイト。

早すぎるとは思いながら、急かされるままに書類を作成し、エントリーして、玉砕。そんなことを繰り返す。



就活担当者には「営利企業のブランク2年もありますからねー」といわれる始末。
私の協力隊の経歴って、なんのアピールにもならない?この2年て無駄?


なんのためにカンボジアにいるの??



もうネガティブ思考の連鎖に陥ってたわけですよ。


活動も、かろうじて授業しには行くけど、それだけ。


今思えばなにもかもが中途半端でした。




でも友人にこの話をすると、割と楽観的な反応が返ってきたんです。

「えー、でも『誰にもできない経験』をしてるわけじゃん!途上国の田舎で働くって、普通できないよ!?無駄なわけないじゃん」




…そう?(単純)



まぁ確かに。特別な経験ではあると思う。ということは、何か勉強してるはず。


無駄ではない?
でも無駄になりそう?
無駄だと思ってる人はいる?
でも無駄にしたくない。



あと3か月、胸をはって「協力隊としてのカンボジアの生活は最高の経験でした!」と言い切れるようになりたい。

カンボジア人が私を必要としてるかどうかなんてもはや関係ない!笑

もう意地です。あと3か月、絶対に後悔しないように全部やりきってやる!!!

と最近思うようになりました。




就活をやめ、
家に引きこもるのをやめ、
「話しかけんな」オーラ放つのをやめ、
赴任したばかりの気持ちを思い出しながら活動しようと、気持ちを切り替えているところです。



カンボジアの学校に関して、とてもネガティブなことを書いてしまいましたが、
彼らにとっては悪気がなくあたり前のことです(だからやっかい)
それを変える必要があるとしたら、めちゃくちゃ時間のかかること、つまり

しょうがない。


自分にできる範囲のことを、あくまでもカンボジア人と一緒に、独りよがりにならずにやるまでです。



最近の出来事。
カンボジアのリゾートといえば!のシハヌークビルで、↓




ハーフマラソン完走しました。




アップダウンがひたすら続く過酷なレース。

々参加者が減っているそうです笑

我こそはという勇者、ぜひエントリーを。





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11月から始まった、カンボジアの2016年度。

新しい年度が始まってから、早4か月が経とうとしています。

運動会(体育)のモデル校は、今年度から1校増やし、現在3校で活動中です。

ですが、新しく追加した3校目のモデル校Sにて、

現在悪戦苦闘中。今日はそのお話をしようと思います。



モデル校Sは、プレイベン市のお隣、スバイアントー郡というところにある、中学校と高校が一緒になったマンモス校です。


自宅からは15キロ。

トゥクトゥクという乗り物に乗って、片道30分かけて行きます。




時間もお金もかかるというわけですが、もろもろの条件を考慮してその学校に行くことにしました。



(道中、何もない景色がしばらく続きます。)


私が担当する7年生~9年生(中学1年~3年生)は全14クラス。

担当の教員は2人です。


が、その2人の教員の出席率がほぼ0%に近く、

完全に私が1人で授業をやっている状態です”_| ̄|○”



先生①女性の先生ニャックルー


7年生と8年生担当。

10か月の娘さんがいるので、なかなか学校に来れないとのこと。


うん、わかる。その大変さは経験したことないけど、想像つく。

仕事どころじゃないよね。うん、わかる。

子供を抱えて授業に来るニャックルーに文句は言えません。




今日もほんとに育児に仕事にお疲れ様。というところです。

ちなみにカンボジアの教員に認められている育休(有給)6か月。短いなぁ…




先生②男性の先生ロックルー


モデル校Sで活動し始めて4か月ですが、この先生はまだ2回しか見たことないです。


しかも初対面がつい最近とか。

しかも授業の時間になるとどこかへ行く…どこへ??

いやもうはっきり言って給料泥棒ですわただの。


授業に来れない事情がいろいろある先生もいます。

「冠婚葬祭で忙しい」とか、

「家族を首都の病院に連れて行く」とか、

「教育局からの通達で会議や出張に行く」とか、

その他、カンボジア的に「あ~、まあしょうがないか」という理由がいろいろあるのですが、

この先生に限ってはどの理由にも当てはまらないという事態。

初対面の時「どうして学校に来れないのか」と聞いても、

「いや、毎日来てるよ…?」「午後の授業は来なくていいって言われた」とか、明らかなウソをついてばっかり。



(;@3@)(;@3@)(;@3@) ドウシタライインダ…



そもそもこの学校、体育の時間が確保されていて、教員がいるにも関わらず、

いままで授業が行われたことがなかったようです。



9年生に「78年生の時どんな運動してたー?」と聞いたら

「何もwww」という返答。



(-д-;)

(-д-;)

(-д-;)


そういうわけで、8年生、9年生の出席率は非常に悪いです。

「今更体育の授業てwww」という感じなんでしょう。

「しかも誰この日本人?韓国人?」という感じでもあり、

赴任当初の授業はぐちゃぐちゃ。

今は少しマシになりましたが。



愚痴っぽくなってしまいました…



しかし、悪いことばかりではないのです!

とっても頼れるイケメン体育教員が実はおりまして、

次回はその先生について。。


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長くなりましたが、ようやく世界遺産の話をします。



7時出発。2時間ほどかけてチケットセンターへ。

ここで、この車に乗り換えます。





そして最大傾斜30度(推定)の山道を登っていきます。





この写真の後、車から落ちないように必死でした(´△`)





20分後、車を降りて、さらに20分ほど歩くと遺産にご対面!


ちなみに概要をちょこっとお話しますと、

建造は9~12世紀、ヒンドゥー教寺院、とのことです。





修復中ですが、ここはお札にも印刷されているスポットです。



さらにトコトコ、メインの寺院へ。




界遺産だろうがなんだろうが、疲れたらビール持参で休憩。

気温は35℃くらいだったでしょうか。休憩は必須です。



寺院は南北に4つの階層に分かれています。



これ何層目??とりあえず、なんとも言えない荘厳さです。






この置き去り感がたまらんのですよね。




同じように続く寺院の階層をひたすら進んでいくこと約1時間…

(そうです、ここは山なんです、崖があるんです!)

最後の最後に、絶景ポイント!!



もうね、「うわあぁ~!」ってまぬけな声が出ちゃったよ(´∀`)





ほんとにすごかった。

(語彙力なくてすみません)




絶景を背後に、切り立つ崖の中に作られたお寺でお参り。
元はヒンドゥー教寺院ですが、ここは仏教です。




そして怒涛の記念撮影大会。






寺院ももちろんすばらしいんだけど、プレアビヒア寺院観光の魅力は、圧倒的にこの絶景でしょう!






こんなに、なぁーーーーーーーーーーんんんにもない景色、

緑と青と白しかない景色、

日本じゃまず、見れないですから。


もう語ることはないです。とりあえず写真をご覧ください。





思い出しても溜息出ます。はぁ。

(ほんと語彙力ないわ)




遺跡から帰る途中、同僚がタイ人に対する不満を口にしていました。


大昔のことですが、「領土をとられた」「物も、文化も、全部持っていった」というようなことを言っていました。


普段は誰もそんなこと全く言わないのに!



おそらくこの地が彼らのナショナリズムを一時的に高めているのかな、と思いました。

遺跡周辺にこんな看板も見つけたし。




(カンボジア人に生まれたことを誇りに思う)





私は島国の日本人だし、

ナショナリズムが高まることは良くも悪くもそんなにないから、

イマイチその感覚は分かりません。


でもこの遺跡が、アンコールワットとは違った意味でカンボジア人にとって特別なものなんだ、ということを実感したのでした。






そして次の日また10時間くらいかけてプレイベンに帰りました。





プレアビヒアへの旅、


クマエ文化に浸り、

絶景に浸り、

くさんの先生たちと話ができました。


先生たちも、他校の先生達と交流できて、良い機会になったんじゃないかな?

そして引率してくれた配属先の同僚にひたすら感謝!

とっても実りある旅になったのでした♪





もうほんとプレアビヒア寺院激しくおすすめです!!

めちゃめちゃアクセス悪いけど!!


景色が緑に色づく雨季(6月~10月頃)が良いですよ~

気になった方、詳細はコチラです♪

http://b-tabi.com/asia/tropicalbreeze/16preahvihear.html


どなたかのブログで、アクセスについて詳しく書かれています。



長くなりましたが、プレアビヒアの旅、お付き合いいただき、ありがとうございました!


前々回のブログ『世界遺産プレアビヒアへの旅』の続きを書きます!


配属先の先生たちと世界遺産を見に行ったっていう話の続きですよ~!(*゚▽゚*)

いやいやホント、お待たせしましまして、スイマセン。(待ってない??え?)




プレイベン州から教育関係者が80人もやってきた!ということで、プレアビヒアの軍人の偉い方が歓迎パーティーを開いてくれました。



こういう場合、だいたい偉い方のながーーーいスピーチがあります。


『プレアビヒア寺院はタイ国境にあるため、タイとずっと領有権を争っていました。武力衝突にまで発展しています。それを経て獲得したプレアビヒア寺院は、カンボジア人、とくにずっと寺院を守ってきた軍人にとっては、とても誇らしい遺産なのです。』(←これ、2008年の話で、カンボジア現代史で大事な話)



という内容を、1時間ほど話してくださいました。



この時点で午後8時。

もうおなかぺこぺこだよ…_| ̄|○



ごはんにがっついていると、

軍人の方から余興のダンスが!?!?




お、お、踊っている…

ちゃ、ちゃんと揃ってきれいに踊っている…

鍛えられた迷彩服の男たちと、余興のギャップ!!




(先生達勝手に混ざるし、この子かわいいし、なんなのほんと。)



まぁ、カンボジア人は踊るの大好きなので。

パーティーごとではとりあえず踊るし、子供の頃から踊ってるからみんなうまいんだよね。



それにしたってなんたる違和感!!!(゜ロ゜)(゜ロ゜)



その後みんなで円になってひたすら踊ります。お決まりの流れです。




カンボジアの庶民のダンスは、



伝統的なアプサラダンスと、





日本の盆踊りを合わせたような、




ゆるめのダンス。



とくに女性はステップ、手つきがとてもきれい。




(

わかりづらいですけど。)



私もマネしてみますが、盆踊りにすらなりません。



「みほ上手!!」


とみんなほめてくれるので、その気になって「もう一曲…」と踊りますが、



疲れたよ!!(゜ロ゜;)(゜ロ゜;)



皆は踊ったり、ビールを飲んだり、談笑したり、

なんでそんなに元気なんだ!?12時間もバスに乗ったのに!!



そして私が席に戻って休もうとするのを許してくれません泣


ホテルに戻ったのは11時。

疲れたあぁぁぁーーーー!!けど、まぁ楽しかったな。


次の日はいよいよ世界遺産にご対面!!




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またまたお久しぶりになってしまいました。


誰か更新を待っててくれてりしてましたか-!?ヾ(;´▽`A``ヾ(;´▽`A``



気づけばあっという間に2016年に突入、残りの任期は全体の4分の1、6か月となってしまいました。


1年半もカンボジアに住んでいると、

カンボジアで見るもの体験すること、なにもかもが当たり前になってしまいます。

が、帰国が刻々と近くなってきている今こそ、

アンテナを張って、カンボジアの面白いところ、自分の活動や生活をを記録していきたいと思うこの頃。





ブログに書き留めなくては…!!





今年の目標はもっぱら

ブログ更新

と、

無事帰国すること。




ちなみに1月のカンボジアは、日中は移動だけで汗が噴き出るほど暑く、年始感まったくありません。

12月も同じく、クリスマス感、年末感、まったくありませんでした。



首都プノンペンでは、クリスマスツリーを飾ったり、年越しパーティーがあったりするのですが、

任地プレイベンでは、カンボジア人にとっては普通の日々です。



しかし、12月の年の瀬感が大好きな私は、


プレイベンにいる外国人を集めたクリスマスパーティーに参加したり、



(蚊帳の中で)




(韓国料理づくし!)



日本の年末が恋しくてプノンペンの日系居酒屋で紅白を見たり、




(紅組優勝の瞬間)

して過ごしておりました。




いやぁ、楽しかったけど、やっぱり日本のイルミネーションやお雑煮やこたつや初詣が恋しいです。



2016年、世界のみんなにとって健康で実りのある一年になりますように!!!





次回から、とりあえず前回の旅行記の続き書きま~…す…!!





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