今日の朝日新聞に、利休の茶がキリスト教の影響を受けていたという説があることが紹介されていた。

「一つの茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む『濃茶』の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないか」という、武者小路千家の家元の話。

「イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする様子を見た利休が、場の一体感を高める目的から取り込んだのではないか。」
「茶入れを拭く祭の袱紗捌きや茶巾の扱い方なども、聖杯を拭くしぐさと酷似している。偶然とは考えにくい」ということである。

なるほどね。

もっとも、それとは逆の見方もあって、茶道に詳しい大学教授の話として、
「回し飲みも、心を一つにする際に行われる一味同心の時の盃の回し飲みと共通しているし、その他の作法の類似も、一般的な動作における普遍的な一致と言えるのではないか」
と紹介されている。

どちらがどうというつもりはない。
ただ、茶道の作法はいちいち細かいところまで決まっており、その一つ一つに意味を付与するとなると相当の哲学的考察が要ったはずだとはいえるのではないか。
それを一代で築き上げたのが利休の天才なのだろうが、なにもかもが独創であったとは思えない。
弟子にキリシタンもいた利休である。
キリスト教の影響があったとしても不思議ではないと思った。

茶道も奥が深いのだろう。
その淵をのぞいてみたい気もする。


今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
今日もぬくかった。
明日からはまた寒くなるとか。
修学旅行を控えた2年生たちに、インフルが蔓延しないように!