何かの価値というものは、それを失ったっときにもっとも痛切に感じてしまうものなんだろう。

恋人を失って、はじめてその人の存在が自分の日常を元気づけてくれていたかを、知る。

病気をして、はじめて食べて飲んで笑って騒いでの日常が輝いていたかを、知る。

お金を失って、はじめて1円の大切や1万円がどれだけ重いものなのかを、知る。

友情が崩壊して、はじめて友達の何気ない一言に喜びを感じていたかを、知る。

私のような凡人は、それを失ってからしかそれを失うことの恐ろしさがわからない。

あらかじめ失うことに先回りして考えることができない。

この知恵の無さ、想像力の乏しさに加えてなにも感じないで生きている平凡な日々。

その平凡な日々の一日一日が、本当は失われることへの助走であったりするわけなんだけど、平凡な日々は平板で単調であるので、かえって想像力が走らない。

むしろ、きつくて辛くて泣き出したくなるぐらい非情な坂道が目の前にある時ほど、知恵ははたらき、想像力は頂上を目指してフル回転するのだろう。

平凡を非凡に変えるには、単調な一日の中にきわめて緊張を強いられる瞬間や場面を、自ら作ってみることだろうか。

もちろん、馬鹿な失敗をしでかすという意味ではない。

今日の一日を俯瞰して、今日のピークを設定する。

それが、今日という平凡な一日を、かけがえのない一日にする知恵かもしれない。

う~ん、難しいことを言っているのではなく、実現するのが難しいことを言っているようだ。

やれやれ。

ここまで書いて疲れた。

自分でも、何がイイタイのやら。


今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
週の半ばは疲れますね。