昨日だったか、NHKで佐渡裕氏が師匠のバーンスタインを語る番組がありました。
最初から見てなくて、後半だけしか見れませんでした。
録画予約をしそこなったんです。
で、その後半で氏が、バーンスタインの、「残された人生に何をするか。ピアノを演奏するのか、交響曲をを録音しなおすか。自分はやらなくてはならにことは教育だ。若い人たちに自分の経験を伝えて活きたい。」という言葉を紹介されていました。
バーンスタインといえば、カラヤン亡き後のクラシック界を背負った名指揮者。
彼はその最晩年を、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の活動に全精力を傾けました。
当初は中国で行うはずだった、若手演奏家のための教育プログラムだったのですが、北京で天安門事件が起こり、急遽、札幌で開催することになったこのフェスティバル。
そこに当時既にガンに侵されていたバーンスタインがやってきて、各国から集まってきた若手演奏家と一緒に音楽を作り上げていく。
もちろん、指揮者にも若手を採用し、前年の1989年にブザンソン指揮者コンクールで優勝したばかりの佐渡氏も出演しました。
バーンスタインが最晩年に教育に力を注ぐ道を選んだのが非常に印象的でした。
彼は若い頃から音楽教育に熱心で、以前NHKでも放送されたことがある教育番組『青少年コンサート』。
アメリカで始まったこの番組はバーンスタインが企画・出演したものでした。
非常にわかりやすい番組で、クラシック音楽の聴き方を教えてくれたものでした。
その彼が、最後まで若手演奏家のための教育に力を入れていたこと。
その情熱に感動させられました。
PMFでの指導。
佐渡氏の指揮も指導しながら、オーケストラの面々にも指揮者とどうコミュニケーションをとるといいのかも教える。
取り上げられた曲はシューマンの第2番。
しぶいこの曲の第2楽章を、楽譜を細かなところまで読み込んで、どう演奏するか、作曲家の意図は何かを伝えていく。
音楽の底に光をあてることで、新たな音楽の姿を示す。
がんに侵された体をひきずりながら、若手に教え込む。
その情熱のすごさが伝わってきました。
佐渡氏がバーンスタインと最後に交わした言葉。
「お前にビッグ・グッバイを言わなくてはならない時がきた」
つまり、永遠のお別れということ。
この言葉を聞いたとたんに、涙がどっとあふれたそうです。
PMFが終わって4カ月後、1990年10月14日バーンスタイン没。享年72歳。
彼が没して20年。
佐渡氏の指揮者活動を支え続けたバーンスタインの言葉。
「お前はいい指揮者だ。お前にはできるよ」
いい話でした。
佐渡氏の思いも伝わってきました。
そしてバーンスタインの情熱も。
今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
70歳になっても情熱をもって語ることができる。
そうありたいですね。