私たちは自分にないものが欲しい。

   お金、才能、地位、美貌、名誉。

   お金がなければ、お金が欲しいと思う。

   才能がなければ、才能が欲しいと思う。

   地位も、美貌も、名誉も、今自分にないから欲しいと思う。



   欲しいと思うから努力する、ということもある。

   欲しいと思うから身を崩す、ということもある。

   欲しいと思うだけで、あとは恬淡としていられたらどれだけ心は安定していられるだろう。



   でも、心が安定しているというのは、抑揚のない精神世界に安住することでもあるだろう。

   毎日、ゆったりと時間が回るというのは、ゆったりとした心であられるということ。

   悩みも煩悶もなく、ただそこに、きれいに整地された畑のような心がぽつんとある。

   それを耐え切れないと思うか、それを理想として求め続けるか。



   たぶん、私は耐え切れないだろう。

   耐え切れないから、欲望に身を焼き、煩悶に七転八倒し、時々水平線の向こうの世界を夢見てまどろむのだろう。

   安定や平板といった心地よくてうすら寒い空気でお腹の底を膨らませることは、どうやら出来そうにない。

   きっと煩悩にまみれたまま死んでゆくんだな


と自分を慰めたところで夢が醒めた。

誰に説いていたわけでもなく、誰かの声を聞いていたわけでもなく、ただ想念としてのおぼろげな風が、きっと寝ていた耳につぶやいていったに違いない。

それとも単なる疲れか。

自分の中の修羅を誰かがあばいてくれたのだろうか。



今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。

不惑、知命、耳順。年齢を重ねるにしたがって人は醜くもなるのですね。