今日も休日の「趣味の学校」をしてきました。

連休最後の日の学校に来ているのは、私も含めて3人程度。

提出物をチェックし、作文を見て、学級通信を作って、明日の授業の準備をして、気づいたら3時間半。

お昼の声を聞いたところで、残りは明日に回すことにしようと打ち止め。

午後は自宅に戻って、読書や何やらでのんびり過ごしました。


休日に学校に行くのは、明日からの仕事を余裕を持ってこなすためです。

作文50人分を今日は1時間程度で見終わりました。

これが普段だったら、授業の合間を縫って見るわけですから、軽く1時間半程度はかかるのです。

ですが、今日は誰もいない環境で集中して読むことができました。


こういう風に、明日仕事するより休日の今日しておいた方が時間を能率的に使えるから、休日の仕事である「趣味の学校」はやめられないわけです。

しかも、生身の人間を相手に仕事をしているわけですから、突然の生徒指導などが入ることはしょっちゅう。

明日はこれをしようと思っていても、必ずしも明日それができるわけではない。

計画通りいかないことがしばしば。

これが人を相手にしている職業の難しいところです。


しかし、このところふと休日の「趣味の学校」に疑問を持たないこともないのです。

明日の仕事に少しでも余裕を持たせるために休日に仕事をする。

これって、貧乏性だよなあ、と思うわけです。

たとえば、ご飯を食べるときに一番大好きな卵焼きを最後まで取っておくような、駅前で配られているポケットティッシュは必ずもらうような、ホテルのバスルームにある櫛やシャワーキャップは必ずもって帰るような、おつりでもらったピン札は使わないでしまっておくような、そんないじましい心根と同じような気がするのです。


明日の仕事のちょこっとした余裕と、休日のリフレッシュするための何もしない時間。

どちらが大きく心にかなっているかといえば、後者に決まっています。

大切な休日の「ボケッとした時間」を、明日の仕事の小さな余裕のために使うのは、本末転倒ではなかろうかと思うのです。

休日は思いっきり休んで、翌日はバリバリ仕事をする。

時間通り終わらなかったら、その仕事はいっそすっぱり潔く明日に回す。

こういうメリハリをつけた方が良さそうにも思えるのです。


しかし、休日に仕事をするのもやめられない魅力があるんですよね。

どちらがいいか、しばらく考えてみようと思います。



今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。

昨日のワンシーン。

水中観光船と、真ん中にぽっかり穴の開いた腕島という名の島。

心にぽっかり穴を開けて休日をやりすごすのも、いいのかも。
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