金曜日はなんとなく疲れがたまるものです。

昨日は休みだったにもかかわらず。


さて、今、漱石の夢十夜を授業で扱っています。

その第一夜。


うりざね顔の女が「自分」に「もう死にます」といきなり言う。

死んだら真珠貝で穴を掘り、星の破片(かけ)を墓標にして、そこで百年待っていてください、会いに来ますからと、「自分」にお願いして女は死ぬ。

「自分」は言われた通りにする。

日が上り、日が沈み、どれだけ時間が経ったかわからない。

いつか女の墓の下から一つの百合が生え、花を開き、天上からの一滴の露に濡れる。

星が瞬き、「自分」は百年が経っていたことを知る。


およそ以上のような内容の短編なんですが、この話の解釈が難しい。

いったい何を主題としたものなのか。

とりあえず、授業では「永遠の愛」ということで扱っているけれど、それでよいものかどうか。

「百年」が永遠のメタファーだろうか。

人間は百年は生きていけないのだったら、「自分」が「百年はもう来ていたんだな」と思った瞬間に、「自分」は死んでいることを認識するのだろうか。

百年経って、女の化身である百合の花に出会うのは、永遠の愛などというものは死の世界でしか存在しないことを意味しているのだろうか。

う~ん、むつかしい。。。。。


もう少し、読み込んでみようと思います。



今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。

「漱石」ならぬ、「枕流」なる作家はいないものか。