Myself
・午前中は社会保険事務所に行き、母の年金の手続き。
・午後は施設に行って母の居室の片付け。
・この施設にいたのは、1年8カ月ぐらいだった。
・前にいた施設と違って特養だから個室住まいだった。
・それが良かったのか悪かったのか。
・個室住まいになってから、もともとあまり社交的でなかった母は、自室に一人でいることが多く、あまり会話をしなくなったようだ。
・そのうち、自分の妄想というか、夢の記憶というか、時たま現実との区別がつかなくなることがあった。
・ボケの症状だったのだろうか。
・腰を痛め、トイレにも自力で行けず、車椅子も自分で操作できなかった母が、部屋に閉じこもりたくなくても、そこに居ざるをえなかったのは、今思うと不憫であった。
・土日の午後に私やかみさんが世話をしに行っていた。
・その時間が本当に待ち遠しかったのだろう。
・私たちが帰る際には「次はいつ来てくれるかね?待っているからね。」とよく言っていた。
・そして次の土日に行くと、施設の方が「ほら●●さん、息子さんが来たよ。愛する息子さんが来たよ」とちゃかすように言っていたのを思い出す。
・早くに夫を亡くし、家族でいっしょに住むことを願いながらも、それがなかなか叶わなかった母にとって、施設の個室はやはり寂しいものだったに違いない。
・週末にやってくる家族がどんなに待ち遠しく思えただろうか。
・そこのところをもう少しわかってやっていたらよかったのかもしれない。
・たまには個室にいっしょに泊まってやったらよかったかもしれない。
・そんなことを、本当に今になって思う。
・私という人間も哀れなものである。