今回の病気でいろいろ考えたことがあった。


まず、この病気をしたのは、ちょうど今、人生の折り返し点を過ぎつつあることを知らせてくれるものではないかということ。


幸いにして、仕事を始めてこれといった大きな病気はしてこなかった。

大人になってからは入院ということも経験していない。

風邪を年に1~2回引く程度のきわめて健康的な日々を過ごしてきた。

しかし、これからはそろそろ体にも気を配るべきだというサインのような気がする。

食べるもの、お酒の量、運動など自分の体と相談せよと。


次に思ったのが、身の回りにあるものをどうするのか、ということ。

というのも、たとえば、熱にうなされて寝ていた自室の本棚を見回すと、今まで撮りためてきたビデオが数百本はある。

ほとんどがクラシックと映画だが、これをどうしよう?

いや、見ればいいではないか、というだけの話だが、見た後、どうしましょう?

これ、あの世に持っていけません。

誰かにゆずりましょうか?

誰に?

思いつかない。二人の子供が「いらん!」と拒否するのだけははっきりしている。


ビデオだけではない。CDもある、本もある。岩波書店の古典文学大系とか。

まあ本だったら、これは誰かに譲れるかもしれないけど、しかし、これとて譲られた人間にとっては迷惑かもしれない。


そう、人生の半分を過ぎたら、人生の仕舞い方についても考え始めなくてはならない。

死んだ後に残る「私のもの」たち。

この処分をどうするか。

死んだ後に残る「私の生き方」。

これは語られることがあるだろうか。


やがては定年を迎え、教師人生も終焉に近づく。

私はどう生きるべきか。

答えはまだ見えないけど、そういうことを考え始めた。