もし、私がワイン・ボランティアになるとしたら……
まず、ワインをしこたま買い込まなければならない!
ボランティア力=ワインの資本力ですからね。
もともと、ボランティアというのは力関係によって成り立っています。
力ある者と力なき者とがいなかったなら、そもそもボランティアという概念さえ発達しなかったでしょう。
(ただし、西洋からの概念では違っているかもしれませんが。
わかる人は教えてください)
で、好きなワイン、嫌いなワインなどなどしこたま買わなくてはなりません。
どんな場面、どんな欲求にも堪えられるように!
同じボルドーのシャトーものならなら十数ビンテージ。
同じブルゴーニュの一級畑なら十数の生産者。
同じカリフォルニアのオカルトなら生産者別、銘柄別、ビンテージ別に。
……って、生半可な量と金額ではありませんね。
次に、私がボランティアなら誰に飲ませるか考えるでしょう。
最初は、ワインを初めて飲むような人。
迷わず、泡なら酸味のやさしいもの、白なら香りの華やかなものか甘い系、赤ならタンニンの抑制されたもの。
次に、ワインに開眼したものの、まだまだ経験少ない人。
泡ならプレステージもの、白なら樽香の少し利いた印象的なもの、赤なら果実の甘みの豊かなもの。
次に、ワインをいろいろ飲んで、深みにはまりこみそうな人。
泡ならビオ、白なら黄金色に熟成したもの、赤なら枯れ始めたもの。
次に、一通り飲みつくしてきたうるさ型のワイン通には。
泡なら白ワインに還元したもの、白なら前世紀のポルト、赤ならフィロキセラ以前。
そう、どういう場面でもボランティアするなら、ワインをさまざまな場面でアレンジしなくてはならないのです。
そこに無上の喜びを感じるのが、ワイン・ボランティアでしょうね!