考えなくてもいいことを考えてみる。



僕はライブに「参戦」するという表現が苦手だ。

今やあまりにも一般的になってしまった言葉に
噛み付くのはとても気が引けてしまうんだけど
そこかしこに踊る「参戦」の文字を見る度に
クラクラするし違和感を覚える。

みんな一体何と戦っているのだろう。

その空間に臨む自分との戦いなのか
その空間に臨む他者との戦いなのか

それとも単純に心理的な高揚感を
わかりやすく簡単に手に入れる為の手段なのか

例えば大型フェスティバルで
音楽を聴いて観てラブだのピースだの言う
その空間に「参戦」するという自己矛盾。

皮肉なことだけど
ライブ=楽しい
という当たり前の感情が
「参戦」「戦争」といった言葉が本来持つ
悲劇的な役割を麻痺させているような気もする。

平たく言えば平和ボケというか。
平和ボケに関しては自分も例外ではないけど。

どうして戦わなくてはいけないのだろうか。

ライブ=楽しいのだ
だからこそ戦う必要性はどこにも感じられない。

隣の人と殴りあうわけでもない
銃声を響かせて血の海をみるわけでもない
出演者に向かって糞尿を投げ飛ばすわけでもない
食事ブースを襲撃して営業停止に追い込むわけでもない

僕は戦いたくなんてない。
何かを簡単に嫌いというのは嫌いだけど
戦うのは嫌いだ。はっきりと嫌い。

だから明日のサマーソニック
僕は全身全霊で楽しんできます。
そこで誰かが何かと戦っているならば
その隙をぬって更に楽しんでやる。





・・・さて、冒頭でも言いましたが
こんなことは考えなくてもいいことなのです。
細かいこと気にしてんじゃねーよ糞野郎って感じで
僕って心からつまらなくてしょうもない人間。

本当は自分でも今から声高に
サマーソニック参戦するぜ!イヤッホー!!
って言っちゃっても良いとすら思います。

なぜなら「参戦」という言葉を使って
連帯感を感じて心を高揚させている人達のほうが
純粋に物事を楽しんでいるということもわかっているからです。

悔しさすらあります。
決して皮肉ではなく。

しょうもないことばかり考えるしょうもない僕は
そのしょうもなさを少しでも吐き出して
しょうもない自分を乗り越えることしか出来ません。

とにかく明日は楽しむぞー。
フェスは今年これが最初で最後になりそうだから
後悔しないように楽しむぞー。

晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ。