ちょっと、昔の事を書いてみたいと思う。

 

あたしが音楽にのめり込んで行く頃の話しだ。

 

そもそも、子供の頃から歌を歌ったりするのは凄く好きだった。

幼稚園で習う歌や学校で習う歌、それからテレビのアニメやなにかの主題歌とか。

 

小学正の頃は、学校でテレビの音楽を歌うと先生に怒られた。そんな担任もいた。仕方のない時代だった。

中学2年生の時、クイーンを観に行った。自分でチケットを横浜の帝都無線で買い、横浜の文化体育館で観たのだった。初来日で「ボヘミアン・ラプソディー」も未だ書かれていない頃の初期、初来日だった。

 

それを知った担任は、あたしの母を呼び出した。

学校でめっちゃクチャ怒られたらしい。

 

うちの中学は「ロックは中学生に不適切」と言う方針だった。あたし達生徒は、なんども「学校でエレキのコンサートをやりたい」と言ったけれど、いつもそう言われて却下されていたのだった。

 

中学3年生の時、先輩からドラムを借りて来て、吹奏楽部で演奏する事になった。

「ビューティフル・サンデー」と言う曲だ。

ドラム・セットを間近で診るのが初めてと言う生徒ばかりだったので、みんな盛り上がった。

 

うちの吹奏楽部は、野放し吹奏楽部で、指揮も生徒、顧問の先生は年に1度か2度しか部室には現れなかった。

現に、文化祭の前は、「高校生の時に吹奏楽部だった」と言う技術科の先生が棒を振ったりしてた。もちろん、コンクールなんてものは、有る事も知らなかった。

 

文化祭の前日、或る生徒が「安田、ドラムは無しって先生に言われたゾ」と言ってきた。

あたしは、文化祭では張り切ってドラムを叩く予定だったけど、結局それはなくなってしまったのだった。

「○○(技術の先生)が“安田はリズム感が悪い”って言ってるよ」

あたしは、「オレはリズム感は悪くない!!」と言って学校から飛び出して、家に帰った。文化祭の前日で、授業はなかったので、たしか朝だったと思う。

家に帰って布団をかぶって泣いていると、父親がその理由を学校に聴きに行ってくれた。わざわざ背広をきて学校にまで行ってくれたみたいだった。あたしが言うのもなんだけど、あたしの父は役者の様ないい男で、スーツ、ネクタイ、髪の毛をピシっとすると、それなりの見栄えのするいい男だった。「これが安田のとうちゃん!?」と言う感じ。あたしとのギャップがかなりあるので、先生もそれなりにおどろいたはずだ(笑)。

理由は、「中学生が演奏すべき楽器ではないから」と言う事だったみたいで、それに対してなにか言い返してくれたのかと父に問うと、「それはスジが違う。学校でそう決まっているのだから、それに従って本来の自分の楽器(本来はメロフォンと言う金管楽器のパートリーダーだった)をしっかり演奏しなさい」と言われた……と。モンスター・ペアレントなど、そんな言葉の無い時代だった。

大体、「今更、1日でメロフォン出来るかよ!」と思ったけど、父親はそれに対して「お前の3年間はそんなチンケなものか?」と言ってきた。そう言われてみればそうだ。仕方なく、学校に戻り、長くしまわれてた自分のメロフォンを出してきて、頑張って練習してみた。今考えれば、最近の学生のやってる吹奏楽の曲ほど難しくはないので、すんなり吹く事が出来た。

 

しかし、解せないのは「中学生のやるべき楽器ではない」と言う点、それから「安田はリズム感が悪い」と言われた事だ。

大体、そう思うなら、「なぜ合奏の時にあたしには何も言わないのだ」と、怒りのぶつけどころがなかった。1年生や2年生に対してもメンツ丸つぶれだと思ってた。

 

あたしは、その年の夏休み、藤沢の労働会館で高校生たちとロック・コンサートをやり、見に来ていたどこかの高校生に「昔の嶋田にそっくりだ。きっとプロになるよ!」と言われたのを人づてに聞いて、すっかり勘違いし、「プロ・ドラマーになる!オレにはこれしかない!」と決心したばかりだった(笑)。

嶋田さんと言うのは、「長谷寺殿の13人」でもドラムを叩いてくれたあたしの小学校の3つ先輩。当時17歳で山内テツのバンドのメンバーになり、既にもうバリバリのプロだったと言う人。つまり、あたしのあこがれの、尊敬する大先輩だ。

 

「将来オレはプロドラマーになる!」と後輩や同級生やクラスメイトにまで宣言していたのに、技術の先生に「リズム感が悪い」とぶった切られてしまっていたのだから……(笑)。

よくよく考えてみると、あたしの音楽の成績は10段階の「6」かよくても「7」。小学校の時など、「1」だってとった。自分では笛もハーモニカも上手だと思っていたけど、考えてみれば、一度も褒められた事はなかった。

中学の時は、テストもいつもよかったし、授業態度も音楽だけは良かった(と自分では思っていた)ので、なぜ「10」や「9」……「8」ではないのかと音楽科の先生に聴きに行くと「歌が……」と言っていた。あたしは、歌は上手いと思い込んでいたのだけど、音楽の先生がそういうのだからそうなのだろうと、暫く思っていた。だから、「ドラム」なのだったが、「リズム感悪い」だけは納得いかなかったし、ドラムクビになっちゃったので、アナあったら入りたい気持ちだった。

 

文化祭の数日後に、藤沢市の「連合音楽祭」というのがあった。市内の中学の合唱部と吹奏楽部が全て集まって、藤沢市民会館の大ホールで2曲ずつ演奏すると言うものだ。

 

すると、他所の学校で「ビューティフル・サンデー」をやる学校がいくつかあって、そのうち2つの学校はドラムセットを使っているのだった。

 

あたしは、「中学生、ドラムやってるじゃん!!」って思って、悔しさが込み上げてきたが、その時、1年生と2年生が騒ぎはじめた。

 

「安田先輩の方が100倍上手だしカッコイイ!!!なんでうちはドラムやめちゃったの!!!」

 

あたしのくやしい気持ちは一瞬で消え、消えかけてた「オレは将来プロドラマー!」と言いう看板の灯が再び点灯しはじめたのであった。

 

正直言って、当時の技術の先生にも音楽の先生にも、恨みの気持ちはこれっぽっちもない。

今となっては、大人の事情が有ったんだろうと、よく理解しているつもりだ。それどころか、そんなことでめげているようじゃ、この道に進んだって先はみえているし、そんな試練はかえってありがたいと感謝さえしている。

 

学生時代、この方1度も優等生になった事のないあたし。好きだった音楽でさえ、優等生と言えるものではなかったと思う。

大人になってから、9年間もボランティアで中学生に吹奏楽を教えていたんだけど、生徒達にいつも言ってたのは「自分の夢中になれるものを見つけて、得意なもので勝負しなさい」と言っていた。

いろいろあって、ドラマーと言うよりは曲を書く人になってしまってたけど、最近はやっと曲を書くのが楽しいと想うようになってる。

いろんな経験や試練が自分の音楽の大事なファクターになっていたんだと最近よく思うのだ。

 

だけど、あたしもいい歳なので、これからは「試練」はなるべくないように神様にお願いしておきたい(笑)。