信じることと疑うことと真実
こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
写真は2日くらい前の晩ご飯です。合鴨のオレンジソース。
まず合鴨の肉ってのが料理初体験。カルフールで見つけたので買ってみて、そんで以前作ったオレンジソースはジュースを使ったのですが、今回はじめて生のオレンジ使ってみました。
上出来!!(`Θ´)
美味しく出来ました。
さて、今日も昨日に続いて映画の話させていただきます。
本日ご紹介するのは
- ビデオメーカー
- グッバイ、レーニン!
こちら。
グッバイレーニン。
正直言うて時代背景とかは勉強不足だと思います。だから私のレビューは的はずれなところあるかもしれませんが、得意の思いこみで突っ走るのみです。
(`Θ´)イクゾーーー
この映画は東ドイツが崩壊する前後を時代背景としています。
主人公の母親は崩壊直前に心臓発作で倒れましたが、その後長く昏睡状態が続いたために全くそのことを知りません。
この母親は非常に敬虔な社会主義者で、東ドイツ崩壊を知らせることは彼女にとって非常にショックを与えるであろうことは火を見るよりも明らかです。
しかも、強いショックが命取りになる状況であれば、なおさら事実を知らせるわけにはいきません。
主人公は持てる知恵を駆使して、母親に東ドイツの崩壊を隠し通す必要があるんです。
もし知られてしまったら、死んでしまうかもしれない・・・そういう話です。
私は社会主義というものがどんなものかリクツではある程度知っていますが、実感を持つことは出来ません。
やはりそこで生活してみないと分からないことがあると思います。
母親の言葉の端々から、カルチャーショックというか・・・
「当たり前」
のギャップをすごく感じました。
社会主義を百科事典で調べてみたところ
生産手段の私有と私的管理,労働力を含む商品の自由競争という資本主義社会の原則を批判して,生産手段の共有と共同管理,計画的な生産と平等な分配を要求する思想と運動
このような説明が出てきました。
つまり極端に強い者と、極端に弱い者を生み出さないために全ての会社を国有化するということでしょうか。
私なんかはどうやって淘汰(リフレッシュ)を行うのかとか、能力が高い人が不満に思わないだろうかとか心配してしまいますが・・・
しかし根底に流れるのは助け合いの精神なんですね。
主人公の母親はこの高邁な思想を強く持っていて、沢山の人に尊敬される社会主義の活動家でした。
しかし皮肉なことに、彼女は眠っている間に信じたものを失っていたわけです。
衛星放送、コカコーラ、バーガーキング、BMW・・・そうした資本主義を象徴するようなものがどんどん国内に入ってきます。
もちろんこうした忌まわしい物を母親に見せるわけにいかないので、主人公は事実を隠し通そうとするんです。
その様がまた微妙です。笑えるかな・・・笑えないかな・・・微妙(`Θ´)
母親の好物はピクルスですが、東ドイツ製のピクルスなんていうのはもう存在していなくて、オランダの製品にシールだけ貼り付けて食べさせたりとか・・・
挙げ句の果てには映画監督を志望する友人を巻き込んで、偽のニュース画像をねつ造します。
この友人ってのがとってもイイヤツなんですよー(`Θ´)
「あるもの」を無いと思わせることは、「ないもの」をあると思わせる以上に難しいのかもしれません。
奮闘も限界に及び、隠し通していけないとなった談での主人公の発想の転換は見事です。
これは是非映画を見て頂ければと思います。(`Θ´)
以前eiさんにお会いして報道について意見交換をしたときからずっと私は考えていることがあります。
真実とは?
もう私の言いたいこと、だいたいお分かり頂けたかもしれません。
私たちはテレビを通して、新聞を通して事実を知ることができます。
私なんかまじでほとんど外に出ませんし、自分の目で実際に見ていることなんて本当に本当にごく一部です。
あなたが今持っている情報が100だとして、その内あなたが実際にご自分の目や耳で確認したことがどのくらいあるでしょう。
私の場合10くらいかな・・・もっと少ないかもしれない。
私たちが得る情報の9割は、誰かを信じることによって成り立っているんじゃないだろうか。
そう思います。
デカルトは方法的懐疑というテクニックを用いて、この世の真理を突き止めようとしました。
疑おうと決めたとたんに、ほとんど全てのことは「ウソかも知れないこと」に早変わりします。
先日の記事で編集という技術について語らせて頂きましたが、それを考えるとテレビ映像を鵜呑みにすることだって危険が伴います。
動画だから安心・・・そう簡単なことではなさそう。
具体例を挙げます。
小泉さんが北朝鮮に2度目の訪問を行った際、帰国直後に拉致被害者家族の会見映像が流されました。
彼らは辛辣に小泉さんの働きぶりを批判していました。
それで、日本国内でどういったことが起こったのか、皆さん覚えていらっしゃいますか?
「どうしてまず最初にねぎらいの言葉がないんだ!?」
「まずお疲れ様と言って、成果を評価してから批判するべきだろう」
「国の代表に対して、いったい何様のつもりだ!」
恥ずかしながら、私も「一言ねぎらうべきだ」と考えていました。
ところがその数ヶ月後に見た当時の映像には、被害者家族が首相をねぎらっているシーンが入っているんですよ!!!
「まず首相にお疲れ様でしたと申し上げたいです。」
「忙しい中ありがとうございます。」
これはどうしたことだ!!!ちゃんとねぎらっとるやん (`Θ´)
つまり、首相の帰国当時はそのシーンを報道しなかったわけですね。
いかがですか?
どう思いますか?
記憶があいまいですが、確かあの会見は生中継だったと思います。
だからテレビにも時間的な都合があったかもしれない。
しかし!!!!
私が抱いた「一言ねぎらうべきだ」という気持ちは一体なんだったんでしょうか。アホらしいことこの上ないです。
そんで日本の多くの人が持った反感・・・これってなんだったんだろう!!!
私を含めて多くの人の感情は、完全に無駄だったと言えます。あほらしい。
ハラ立てて損した。
ところで、私はほとんど民放のニュースを見ません。
基本的にNHKです。受信料も払っています(笑
なぜなら、民放に出てくるコメンテイターの意見・・・彼らの個人的な意見を聞いていて「うるさい」と思ってしまうことが多いから。
おまえの意見なんて聞いてねぇし!あったことだけそのまま伝えろ!
そう思うんです。
だからといって、NHKに問題がないかと言うとそんなことはないと思います。いっぱいあると思う。
それでも画面に出てくるよくわからない他人の意見は、後回しにしたい・・・そういうタイプの人間です。
ところが、私が意見を作り上げるための映像や文章に間違いがあったり、先ほどの例のように「ここはいらない」みたいに切り取られたりした場合に、私の意見はどうなるんでしょうか。
私は自分がメディアに操作されていることを強く感じるんです。
そして操作しているメディアはというと、株主を抱える営利団体なんですね。
ニュースを構成する現場にご大層な手続きはないと思います。スピード命!!!
ディレクターの胸三寸で、私の意見が180度違ってしまうということだってあり得ると思います。
もっと言うと、メディアの恣意的な判断によって世論は簡単に揺らぐんです。
【恣意的 しいてき】
その時々の思いつきで物事を判断するさま。
私たちが真実だと思っていることがらは、実は危ういものだと思います。
グッバイレーニンの主人公が作り上げた偽のニュース画像でないという保証は、どこにもありません。
じゃあどうすりゃいいのさ・・・
私がずっと考えているのはその点です。どうすりゃいいんだろう・・・(笑
いちいち全部この目で見るなんてことは出来ません。
結局誰かの言うことを信頼するか、それとも完全に浮き世を離れるか・・・そのいずれかしか選択肢はないと思います。
浮き世を離れてテレビもねぇラジオもねぇ♪ところで生活するのも悪くないかもしれませんが、私はそこまで決断する勇気を持っていません(笑
なのでどうしても誰かが発信するなにかを信じるしかないわけです。
もちろん疑って見ることは大事だと思います。大事だけれども、一定の部分で信じる以外に選択肢はない。見に行くわけにはいかないから、結局は伝聞です。
個人的に一番問題だなと思うのは、テレビ局が株主の持ち物である以上、株主に有利な情報提供を行う危険性があるという点です。
テレビ局のトップを、みんなで選挙で選んだらどうだろう・・・・ヤバイかな?ヤバイかな?(笑
私が真実だと思っている9割は非常に危うい・・・それを常に意識しておきたいと思っています。
そして今思いつく唯一の選択肢、疑いながら信じるという難儀なことをやっていかねばならないのだなと思うんです。