気まぐれ何でも館:(572)至福の旅びと(篠弘歌集)(10)
  
 レオナルドの絵の顔料にいどむ女史化学用語を連ねつつ言ふ
  
 洋梨が匂へるさまに描(か)かれたる「最後の晩餐」のテーブルのうへ
  
 晩餐に集へる使途の表情やそれぞれの皺描き分けられつ
  
 十年を経て明るめる晩餐図聖(せい)マタイそのたしかなる顎
  
 テンペラのボッティチェリを洗浄し透きとほりくる薄絹の胸
  
 この時期に裸婦のモデルは在らざるにボッティチェリの尻愛(め)づる線
  
 バロックの戒律によりマザッチョの描けるエヴァの隠されし陰(ほと)
  
 楽園を追はるるエヴァの白き肌わなわな揺るる胸をいだきて
  
 基督の痩せにし肌のフレスコ画おのれが修羅を描きたりしや
  
 褪色(たいしょく)をまもらむとせし膠(にかは)かけ「最後の審判」を黄変せしむ
  
 洗はれしミケランジェロの純色や人のししむら量感を増す
  
 システィナに日一万人が仰ぐとふ「ノアの洪水」ゆめ褪(さ)めゆくな
  
 修復は手さきの技(わざ)にあらずして歴史感覚とコラルッチ言ふ
  
13.12.22 抱拙庵にて。