さて、先に【最終回】と言って置きながら、番外編の登場だ(面目ない)。作曲家マーラーについて少し話そう。
 
ここでは、あまり専門的で難しいことはなるべく述べないようにしたい。マーラーの音楽だが、総じて私は難解
 
とは余り思わない。(鈍感でしょうか?) 崇高なマニアには、崩壊的な思想とか、苦悩の姿とか、深く自己に
 
沈潜して・・・とか、色々な難しい言葉を使って表現するが、どうにも実感が湧かない。格段、そんな風に捕ら
 
える必要も特別な理由もないと思う。壮大なスケールと遠近感、重厚な音の構成が信条のような音楽で、
 
庶民的思想で申し訳ないが、どうも最初は映画音楽を聴いているように感じてしまった。また、少し楽曲が
 
くどいなあ・・と思わせる部分もある。特に第四楽章は・・総じてこの傾向に・・・
 
マーラーを最初にじっくりと聴いたのは交響曲第1番「巨人」であった。ズビン・メータ指揮イスラエルフィルの
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演奏だった。これが私のマーラー音楽観の基礎ベースになっている。
 
このCDの評価をAmazonで調べると、リスナーから、かなり辛口(かなり退屈な演奏・・・とか・・・)で批判的に
 
書かれている。無論、私にとっての印象とは異なるので、これからも色々な人の演奏も聴き比べるが、自分の
 
いいと思っている演奏を批判されるのはやはり辛い・・。自分も同様に音楽レビューを書いていながら、やはり
 
空しさを感じる。このCDを買った以降は色々なCDを買って聴いたが、テンシュテット指揮ロンドンフィルの
 
交響曲第5番のライブ版が好みの1枚だ。
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リスナーの評価も高いが、この「込み上げて来る熱さ」が素晴らしい。このテーマのブログで一貫して私が
 
感じる良い音楽とは「熱い音楽」なのだと思った。「良い演奏」と「良い楽曲」は異なる。また、「良い演奏」と、
 
「素晴らしい演奏」も違う。「良い演奏」だからといって「良い楽曲」ではない場合もある。今回のブログを通じ
 
私にとって「素晴らしい演奏」は聴く人の感性に訴えかける音楽だと再認識した。スヴェトラーノフだってそうだ。
 
確かに演奏の技術とか解釈には疑問符がない訳ではないが、その高まる想い、情熱、感性は私の心に届く。
 
テンシュテットのライブ版は、彼が癌を告知され治療を受けて復帰した時の演奏だが、その躍動感と魂の叫び
 
は私の心を震わせた。”理屈ではない共鳴”こそ感動の根源だ。感情的な耽溺も良し、爆演の開放感も良し
 
なのである。
 
さて、Amazonに幾つかCDを発注した。マーラーの交響曲を2枚、苦手なカラヤンのDVD等・・・・ううん、日本に
 
帰ってからが楽しみだ。(現時点、詳細な内容は秘密ですけど・・・)
 
尚、苦手なカラヤンの指揮法はYouTubeでも幾つか見てきたが、特に素晴らしくも感動的でもなかった。
 
これからじっくりとDVDで研究してみようと思っている。佐渡裕がベルリンフィルを指揮したDVDも見たが、
 
指揮が余りに感情・感傷的でこれでは指揮ではなかろう。今までの彼の努力と苦労を考えると心中は察する
 
ものの場所はわきまえないとリスナーに失礼になる。演奏者や指揮者は創造物の完成度で評価されるべきで
 
自己陶酔はいけない。創造物がVisual系なのか、感情表現の伝達なのか、そこはどう考えてもらっても結構
 
だが、感動の共有が最終的な目標であるとを忘れてはいけない。ここは謙虚に考えるべきだ。