なんてことはない


嫌悪や否定していること自体が


そもそもの 


苦の原因でもある


ゆるしなさい

彼らは幼いのです

反応し

いつまでも同じレベルに

留まっていてはならない


それを気づかせる為に

手を変え品を変え、人を変え

それらは現われている


超えるまで

それらは

現れ続けるだろう


外側を変えようとしても変わらない

それらを恨むのも、憎むのもお門違い


ゆるしなさい

彼らは幼いのです

反応し

いつまでも同じレベルに

留まっていてはならない


ゆるしなさい

自他共に


ジャッジするとか、しないとかは


放っておく


ジャッジしない様にすることで


逆に


そのジャッジした、してないという


判定のまっただ中に入り込む


ジャッジしてしているか、していないかを


またジャッジしてしまうという


ジャッジしてる、してないを

エゴ的部分で見ていても

結局はジャッジにしかならない


二元性の世界に生きてるんだから


自然でいいじゃないか

そのままでいいじゃないか


好みにまで


ジャッジなんてものを入り込ませる必要はないし


人間として生きている

自分自身をゆるすこと


ジャッジしていようが、していまいが


ゆるすこと


より大きな全体の自分として


ただそのままをゆるすこと



人がどう思ってるか


人がどの様な状態か


人の状況とか


人の感情とか


その様なものは放っておきましょう


その様なものに気を取られることで


自分を苦しめ


自分をおかしな所へ閉じ込め


自分を壊してきた


解放を妨げてきた


自分自身を第一に大切にしましょう



「私は他の人々を助けたいとおもうのですが」



「どうか世界を救おうなどとして飛び回らないでください 。

あなたにできる仕事は全てあなた自身を救うためなのですから」


ヴァーノン ハワード なぜあなたは我慢するのかより




「新しい考え方をするってどういう意味ですか?例をおしえてください」


答え

「社会や世間に対するなにか価値のある貢献といったことを考えるのをやめなさい。


なぜならそんなことはまったく無意味な観念ですから

あなた自身の内部にある間違ったものを全て捨て去ることを考えなさい。


ところがこれをする人はめったにいないのです。


なにしろ、人類のための奉仕を唱えるほうがずっと容易ですからね。


人類を傷つける隠された自己欺瞞を捨て去ることは却って難しいのです。」


ヴァーノン ハワード なぜあなたは我慢するのかより




「人助けをする前に、とにかく自分のことに取り組みなさい、と強調されるのはなぜですか? 」


「同室になった2人の入院患者は、互いの回復のために力になる事はできないでしょう?でも、片方が元気になったら、もう1人を助けて健康のおすそ分けをすることもできます。ところが自らが病んでいるのに、人を癒すことができると勘違いした人は、かえって傷口を広げるようなことをします。自分が健康になるべきなのに、そのことから逃避するために助けようとするからです。ただ、それを指摘すると、憤慨されるのがおちですがね」


ヴァーノン ハワード 宇宙のセオリーより




喜びに満ちた者だけが、他人を助けられる

人を慈悲深くするのは至福だけだ

他人を助けられるように、他人に奉仕できるように

人生に美しいエネルギーをつくり出せるのは至福だけだ

至福なしでは誰にも奉仕することはできない

自分では奉仕しているつもりでも

ただ人を傷つけているだけにすぎない


OSHO



6:39イエスはまた一つの譬を語られた、「盲人は盲人の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。


ルカの福音書



思えば

自分自身を救う

これだけをやってきました

世間一般的(スピリチュアル系含む)には

人や世界を救わずに

なんて酷い人だと思うかも知れません。

しかし

実際には

自分自身を救う

これこそが

全ての救いに通じるものだと観じています。

なぜならば

ここで言う

自分自身とは

個としてだけの

自分自身ではなくなっていくからです。