すれ違った瞬間に耳に付いた言葉

耳に付いた曲の歌詞

隣に現れた親子の会話

映画、ドラマ、アニメからきたインスピレーション

動物から得られた気づき

自然から得られた喜び、感謝

人との会話、やりとり

などからの学び、気づき
(それらは喜びだけではなく、ときには苦言的なものもあります)

これらは最初は偶然に見えるかも知れないけど、偶然ではなく必然的に与えられている

神は全てを見ておられ、人それぞれに必要な学びを与えて下さっている

神が普遍、遍在していると感じれるのはこの様なときです

光(本質、二元の偏りではない)へ歩んでいく事により

「全ての全てが神、神は普遍 遍在している」と知識で知っている所から

この様に日常に感じれる様になってくるのだと感じます

2014/8/20


弱さというものはどうしても他の人々に嗅ぎつけられ、利用されてしまうものです。あなたは自分はこれが欲しいのだと誤った欲求や願望をもっている。自己充足が強みであるのに対して、誤った欲求は弱みです。あなたの誤った欲求と他人があなたをどう扱うかの扱い方とはつながっているのです。



他人から受け入れられないではやっていけない人は、まだいくつかの誤った考えのもとに暮らしているのだ。そうした人は、自我をくすぐる華やかな交際や、自信ありげな他の人々からの励ましの言葉などに、まだ価値があると思っている。彼はまだ、自分の虚しさを社会の神経症的な騒音で満たせば、その苦悶から逃げられると思っている。



他人があなたを好いてくれるようにと、あるいは彼らをあなたの味方につける目的で、便宜、親切を与えてはならない。それは誤った動機であってあとで罰を招く。ひとつには、他人はあなたが彼らを求めていることを嗅ぎつけ、友情を装いながら、内心軽蔑してあなたを利用しようとするだろう。それにまた、そうした行為は、強さがあなたにではなくむしろ他人側あるとの間違った確信を深める。



助けを求めるのにドラマチックな声望を持った教師を探す必要はない。霊感のある神秘主義者や宇宙的な力に恵まれた人間を探さなければならないと思ってはいけない。なるほどその人は霊感のある人、聖なる人であるかもしれない。しかし霊感とか聖なる素質とか、そうしたレッテルを念頭に置いて探すと、自分で偉いと感じていたいためにそんなレッテルを身に纏っている人しか探せないかもしれない。あなたの必要なのは澄んだ心、正気の心を持った人である。あなたを助けるべきものと見る人であり。騙して食い物にしようなどとは考えない人である。

ヴァーノン ハワード
なぜあなたは我慢するのより


image

観じたこと

よく何かしらの精神的問題があったとして

それを

マインドからアプローチすることを教えてる人がいるけど、それでは誤魔化し、隠すだけで根本的解決にはならないと思う

そもそもがマインドが問題なのに、更にマインドでどうにかしようすること自体がズレてる

結局は、マインドでどうにかしようとするのではなく、自分(エゴ)でどうにかしようとするのではなく

どれだけ

自分自身の本質に任せているか、委ねているか、信頼しているかがカギだと思う
image

観じたこと

スピリチュアル(霊的)というのは

私達は宇宙人、スターシードで特別なのだと


エゴ的な部分の喜び、励まし、擁護に使う様なものではなく

スピリチュアル(霊的)な生き方として

日常に活かしたものでなければ

いつまでたっても

世の中が低くて

宇宙人、スターシードの私達は高いという


特別視(逃避)から抜け出れない


image

観じたこと

否定って悪い事のようにとらえていたけど

そうではないのだと観じた

否定によって発見することも沢山ある

インチキを発見するのも

ある意味否定によるものだし

ただ

そこに

感情や思いなどを乗せてしまうと

厄介なことになり、ズレてしまうのだと観じた