用事があって 出勤前にすごく懐かしいところに 寄って、


でもそこはもう昔とは随分変っていました。


私の探さずにはいられない人は


いまもその町で 日常を生きています。


本当は なにも求められてなくて


本当は なにも期待してない


そんな関係が きっと何千年も生きていく愛の末端なんではないかと


ほんまに思ったよ。


独占できないもの 所有できないもの それが愛です。


一番のわがままを いつか聞いてあげよう。あいつの。


そのころにはきっと 80歳のばばあだ。


きっと 人より早めに惚ける相方を 丸ごとありのまんま愛して


その果てに一人残される私は


あいつのわがままをきくことだけに 喜んで


そしたらそれ以上の人生なんて どこにもない。


そんな気がした。




http://www.youtube.com/watch?v=4jw_4d8XQGI&feature=fvwrel



サマーウォーズ、大好きです!!




高校時代、体育の授業で


卓球とテニスの試合で 私に負ける者はいないとされ、


それはそれは 神秘に満ちたプレーを披露したものです。


球技とか道具使う運動が超下手で、 唯一得意としたのがマット運動と水泳でした。


そんな水泳ですが、最近泳いでないので、そうだなあ、60過ぎたらまた泳ごうと思います。


未来永劫 水泳万歳の人間です。


ふと今日、中学生のころの球技大会を思い出しました


(高校では毎年、サボって彼と遊んでましたから記憶がないのです)。


その球技大会で ドッヂボールをしたんですが、


運動の得意な意地の悪い女たちが、要領のよくない女たちをばんばん当てて


心底楽しそうに笑ってたんです。まるで北斗の拳女版です。


私なんぞはさっさと当ててほしいのに なかなか怖くて当たれず


かといって外野にいたらいたで、なんの役にも立たないから


(味方にボールを回すことさえできない)


仕方なく冷静に逃げまわるだけの女なのですが、


意地の悪い女というのは たくさんいるもので、そのときも


当然のように、ろくでもないものを見てしまいました。


それは 内野に残っていた一人の内気な女に 腕っ節のいい女が狙いを定めたときのこと。


彼女は、至近距離から ねらった女の顔面へ思いっきりボールを当てました。


その瞬間。


歓喜に沸いたあの底意地のわるい女どもの 若くて未熟な弾ける笑顔でした


ボールが当たった女の頬はみるみる腫れ、鼻からは血が出て止まらず、


それでも顔面セーフという恐ろしいルールによって 


砂の付いた手や体育着の短い袖で鼻血を拭い


ゲームに参加し続けるしかなかったのです。


太陽の照りつける白い運動場の上で、くだらなくて 空しい時間が


あまりにもあまりにも多かったあの頃。


少しの痛みを我慢できない者が 集団で誰かを半殺しにしている日常。


それぞれの思いが それぞれに鋭かったあの頃。


そういうものに疲れて緑豊かな高校へ進学した私が


球技大会に出ずに男といちゃついていたのには そういう理由があったのです。


中学生諸君、辛いなら できるだけ早く 大人になることだ!


必ず 大人になってみせることだ!


そんなことを思いながら 寝ることにします。


※コモさんは ネズミ(人形)の小島君とあそび疲れて静かに寝てます。(嬉)

連れ合いは やまい人です。


私なんぞに恋をして、私なんぞにぴとっとくっついて にこにこしている・・・


やまいです。


いま ハルヒの英語の本を買ってパラパラ読んでいるんだけど


「恋は感情的な錯覚で、つまり一過性の病気よ」


的な台詞があり、


心の底から 賛同 賛美 合掌です。


学生時代、映画観賞とその病気に罹ることが 死ぬほど好きで


どれほどの可能性を無駄にしたことか笑 ←うそうそ。


なにをもって 人生を 棒にふるか。


恋もよし、夢を追うもよし、大我をつきつめるもよし。


せいぜい酔って、大いに醒めていたいものです。