4月1日 父がこの世を去りました。3か月経ち、色々と余裕も出てきたので備忘録も兼ねて残しておきたいと思います。誰かのお役に立てれば幸いです。
3倍速?ってくらいに老衰?(病名は最後までわかりませんでした)の進行が早く、今のうちから出来ることはやっておこうという事になり諸々の身辺整理をする事にしました。と、同時に葬儀の事も進めていきました。
先ず取り掛かったのは名義変更。実家は柏市なので、市役所のサイトからおくやみブックをDLして生前にできる事を早めに処理を進めていきました。
早めに行動した事で、かなり余裕を持って葬儀やその他の事を慌てずに対応することができましたが、毛嫌いせずにもう少し親父と向き合うべきだった。と兄と後悔しています。親父の事、私達は何も知りませんでした。なので気が遠くなるくらい大変な作業の連続でした。
事務的な作業をしながら葬儀についても話し合いを進めていきます。何処でやるのか、予算どれくらいか、誰に連絡するか、遠方から来る人はどうする?駐車場どれくらい必要?香典返しどうする?遺影はどれにしようとか。
とりあえず、家族葬で見積もり。親父的には家族のみでこじんまりとやるのを望んでいましたが、葬儀後に家にバタバタと来られてもめんどくさいし、何で葬儀に呼ばなかったんだとか言われるのは疲れるのでキチンとやろうという事に。この辺りから私達家族にも疲労が出て来て、仕事をしながらの兄と私は既に憔悴していました。
そしていよいよその日が近づいて来ます。桜の開花が遅れ気味の3月の終わり。最後の家族4人での時間を過ごした次の日。誰もいない薄暗い無機質な処置室という部屋で親父は1人、誰にも看取られることなくひっそりと人生の幕を下ろしました。
亡骸を前に泣き叫ぶ母。病院のベッドで痩せこけた親父を呆然と眺めてどこか他人事で立ち尽くし涙は出ませんでした。兄も同じでした。
👩🦰「葬儀屋に連絡してください」
👱♂️「そうだな」
ぶっきらぼうの会話から怒涛の日々の幕開けです。
入院期間も含めて、私達家族が親父のためにこんなにも一生懸命に尽くしたのは初めてだったと思います。
そして親父が逝って思ったこと。「私達家族はそこそこ幸せでいい家族だったのではないか」という事。そして、母の事めちゃくちゃ好きだったんだな。って言う事。
気が向いたころ続きます。