こうした成果はその後の求人行脚にも大きな後盾となった。名古屋空港からフレンド シップ機に乗って宮崎へ向ったあと、熊本、鹿児島県かをくまなく歩くのは大変な仕事だが、中小企業ながらそれなりの成果はあげた。
鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
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さっそく、同教諭と接触、当社の経営理念などを披露したが、昭和39年3月卒の第1回卒業生として鬼頭修(旧姓、山下)、続山秀夫、税所良昭(退社)の三人が当社の門をくぐった。
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小林高校は昭和36年度の新設校だった。当時、名古屋での生活体験のある図師英行教諭が進路指導主事をしており、同教諭の指導理念が“卒業生は大企業に送り出すより、優秀な中小企業を選択、こうした企業に送り出すこと”との理念であることが判った。
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ただ、この二人の求人行脚はそれほど効果をあげえなかった。新規学卒者 の求人活動に成果が現れ出したのは、鬼頭稔常務が入社して以降、とくに宮崎県立小林工業高等学校を知ってからのことである。
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