若草色のねんねこ -8ページ目

若草色のねんねこ

私は私の中のたくさんの私と生きてゆく事を誓います





昨日の更新をみてくれた友人から
あんたのラインの背景こわい
との指摘があったのだけど、
あれはホラーものじゃなくて
steve-oというアメリカのタレントさんの
サーフ画像なのよね。




photo:01






steve-oの日本での知名度ってどのくらいなのだろう。
steve-oが好き!というと
たいてい、誰?という反応が返ってくる。




ちなみに一番好きな‥というかタイプの男性有名人は
佐藤浩市氏。
なにもかも素敵すぎ。




数年前、職場のhpでスタッフプロフィールを掲載するための
アンケートに「好きなタイプ」という項目があって


迷わず、佐藤浩市と書いたのだけど
いざ掲載されたものをみると
他のスタッフはみんな
「いつも笑顔の人」
「優しい人」
などなど、ふんわり回答で
誰一人個人名を出していなかった。
浮いていたな。わたし。




そりゃわたしだって、いつも笑顔で
優しい人が好きだよ。




その後のわたしの誕生日に
男性のお客さまからお手製のスケッチブックのようなものをプレゼントしていただいて、
中をみると、なぜか真田広之氏の大量の写真。



コピー用紙を吹き出しふうに切り取った紙が何枚もついていて
ひとつひとつに
「◯◯(わたしの名前)、素敵なレストランを予約したよ、さあ行こう!」
「◯◯(名前)、今日もきれいだよ」
とか書いてあった。



この吹き出しのメッセージを
好きな真田広之の写真に合わせて楽しんでね!
と満面の笑みでおっしゃっていた。




あのお方は、きっとわたしのことを変態だと思ってらしたのだな。




そもそも真田広之氏じゃないし。
真田広之氏も好きだけど、
佐藤浩市氏だから。



まあ、人違いです、とも言えず
にっこり受け取って
なんだか捨てられずに未だに家にある。




吹き出しをはめて遊んでみようかな。
せっかくのご厚意だし。





















わたしの母は、誤字が多い。




わたしがまだ前の職場で働いていた頃、
帰宅するのは毎日とっくに日付が変わった深夜で
当然家族みな眠っていた。




テーブルには母が用意してくれた食事があって、
いつも傍にメモがあった。



そのメモがとにかくミスだらけ。




あるときは、「本日のメニュー」のはずが
「本日のメニョー」と書いてあったし、
わたしの誕生日のメモには「パッピーバースday!」というメッセージが。


「ハ」にマルはいらんのよ。
day以外の綴りがわからなかったのかな‥。
いろいろと考えていたら後からジワジワきて
夜中に一人ニヤニヤしてしまった。




静まり返った家で一人黙って食べる虚しさ淋しさも
にやけメモにずいぶん救われたなあ。








もっと遡ると、
わたしがまだ小学校低学年の頃、
一人旅に出ていた母が自宅に送ってくれた絵はがきに
「ママは今、京都に来ています」と書くつもりで
「ママは今、京都に生きています」と書いてあった。




こども捨てる気か‥。
もちろん当時のわたしには間違いが理解できなかったけど。



祖父だったか祖母だったかが
その後帰宅した母を笑いながら
からかっていたのを覚えている。




ちょっと前置きが長くなったけど
ラインで届いた新作。




photo:01






「そのうち返り討ち」




ふーん、さいきんはタクシー待っているだけで
返り討ちに遭うのね。
物騒な世の中だわ。




ちなみに、暇だからラインくれと要求してきた母だけど
その後こちらがなにを送っても
フルスロットルで無視してきた。




他にも


photo:02





「今日」が「昨日」になっていたり




photo:03






「電話」が「電車話」になっていたりする。
この「電車話」はほぼ毎回。
もう予測変換で一番さいしょに固定されちゃっているのね。




今までで一番恐ろしかったのがこれ。



photo:04






恐るべし‥




ナリソエウーーーーー!







さすがに、え?としか反応できなかった。。




「遅くなりそう」と打ちたかったらしい。
なにをどうしたらこうなる‥?






ミスだらけだけど、
毎夜遅くまでお疲れさま。



今日も遅くなるそうで、
密かにへんてこメールを期待している。











アラフィフの友人と食事をしていて
何がきっかけだったか、
一番古いと思われる記憶っていつ頃の?
という話になった。





わたしの一番古い記憶は、
おそらく両親の喧嘩。



血がつながっている方の父親と
母が離婚したのは
確かわたしが一歳になった頃だから、
つまり一番古い記憶は一歳かそれ未満ということ。




ダイニングの赤ちゃん用の椅子に座っていた覚えがある。
そこからキッチンにいる両親を見ていて
なにをしゃべっていたかまではわからないけど
二人とも怖い顔をして
大きな声で話していて
母はまな板の上で
ダンッダンッと菜箸を包丁で
ぶった切っていた。




泣いていた覚えはない。
なんだか驚いて、ぼんやり眺めていた気がする。




小学生くらいの時に
姉にこの話をしたら、
当時四歳かそれ未満であった姉も
やはり覚えていて、
あのときのママ、いま思うとちょー怖くなーい?
狂ったように菜箸ぶった切ってたよねー!
ぎゃはは!
と大笑いした楽天姉妹。




他にもいろいろと覚えている。
ハイハイしながら壁にかかっている自分の写真を見て
ああ、これわたしだ‥。と思った記憶や
三歳まで住んでいたマンションの間取り、
置いていた家具、飾ってあった変な絵画、ソファの色。
あと、離婚直後に同じマンションの白人男性に誘われて
花火大会デートに出かける母の後ろ姿を見た記憶。
子守の祖母に抱かれていた。




大人になってから、母に覚えている限りの幼い頃の記憶を話して
がっつりドン引きされたくらい。




丸一日かかっても語り尽くせない。
とにかくすごく覚えている。いろんなことを。




でも父親の顔は思い出せない不思議。
まあ写真で見たことはあるので、
顔を知らないわけではないのだけど。






ちなみにアラフィフの友人は、
うーんうーん‥とだいぶ悩んだあと
‥昨日のメシも覚えていない。
とのこと。




それは、やばいよ。