毎日宿題が終わると、息子は来る聖体拝領式に向けて、ミサ中の“誓いの言葉”(と言っていいと思います)を練習します。
で、どんなのが書いてあるのかなぁと思い覗いてみました。
全部で7つか8つほどあるんですが、 と思ってしまったのが
O my God, I thank you for loving me.
I am sorry for all my sins, for not loving others and not loving you.
Help me to live like Jesus and not sin again. Amen
(おお神よ、私を愛してくださり感謝します。
私は他の人を愛しておらず、あなたを愛していないため、私のすべての罪のために申し訳ありません。
私がイエスのように生き、再び罪を犯さないようにお助けてください アーメン)
・・・
「私のすべての罪」て
えぇ、わかってますよ、アダムとイブが犯した罪を全人類が背負ってる『原罪』という観念だって。
でも、ねぇ、どうしても「なんで現代人が、そんな人祖が犯した罪を何代に渡って背負わなならんのじゃ?」と思ってしまうわけで。
アダムとイブが禁断の実を食べたのが罪だというけど、そもそも神様は何で禁断の実を創っちゃったんだ?食べたらダメって言うなら、最初から創らなきゃいいじゃない。 なんて思ってしまいます。
私が今後キリスト教に改宗することはないので、理解できなくてもいいんですが、なーんか腑に落ちないんですよね。
さて、先週火曜日夜に息子とその同級生、お隣の小学校の2年生を教会に集めて、初めての罪の告白をして許しを得る(「ゆるしの秘跡」、以前は告解とも)儀式がありました。
先生から最低3つの罪を告白するようにと言われたらしく、息子は来る日も来る日も「告白する罪」を考えていました。
彼曰く、「一つは決めたんだ。でも、僕はtoo goodだから他の二つが思い当らない」と・・・
7歳児の罪っつったら、嘘ついちゃったとか、つまみ食いしたとか、宿題忘れたとか、友達と喧嘩したとか、好き嫌いが多いとか、そんな感じじゃないですか。
で、そんなのはダメなの?と訊ねると「そんなのは“罪”じゃない」と。
どーも信仰に関する罪じゃないとダメだったようです、息子の頭の中では。
誰に似たのか妙にクソ真面目なんですよ、我が子は。
アイルランドに生まれて育っていくから洗礼受けさせてキリスト教徒にさせたものの、ツッコミどころが多いこの宗教を信仰させて良いのだろうか?と自問自答しています。