「欲しがりません 勝つまでは」

このフレーズを聞くと、大東亜戦争中の物不足、食料不足の大変な時代というイメージが浮かぶ人が多いのではないでしょうか?
ただし、このスローガンを掲げたのはドイツで、しかも第一次世界大戦の時だそうです。
もちろん、第二次世界大戦中は日本もドイツも、そして英国も米国も、その他の国々でも様々な標語を掲げ、国民へ節約や協力を呼び掛けていました。
ちょっと意外じゃないですか?
英国は当時多くの植民地を持っていましたし、米国はすでに経済大国でしたから、『節約』呼びかけていたなんて・・・。
大国といえども、色々努力しなくてはならなったようです。
私の愛読書で、英語教材兼世界史の教科書『Horrible Histories』から、WW2の英国の状況を搔い摘んでご紹介します。

どこも大変だったようです

  ※Blitze =急襲、電撃戦。(The Blitze=ロンドン大空襲)
  ※Brits=イギリス野郎(軽蔑的な表現ですので、英国人に向かって使わないこと!)

☆アルミニウムの供出
戦闘機を作るために各家庭からアルミニウム製の鍋や、フライパンを供出しなくてはなりませんでした。

☆乗用車の使用制限
ガソリンを節約するため、緊急時以外の乗用車使用が制限されました。ただし、当時は10軒のうち、車を持っているのは1軒という割合だったとか。なおガソリンは配給制だったようです。

☆べヴィン・ボーイズ(Bevin Boys)
18歳以上で戦場に行かない男性は、炭鉱で働くよう義務付けられました。これを考案した、労働相アーネスト・べヴィンにちなんで、彼ら(炭鉱夫)はべヴィン・ボーイズと呼ばれました。

☆1に節約、2に節約
①燃料がもったいないため、お風呂の水は、バスタブの底から12.7㎝が上限とされました。(これって誰かが調べていたんでしょうか?汗

②衣料を節約するため、男の子は12歳になるまで半ズボンを着用するように定められました。

どこも大変だったようです

なお、戦争中はシャツ、ジャケット、ズボンそれぞれに名札をつけなくてはならなかったとのこと。イギリスでも空襲があったので、もし爆撃で四肢がバラバラになっても、個人が特定できるようにという理由からだそうで・・・ひぇ~
※50年代、60年代くらいのイギリスやアイルランドの男の子の服装といえば、半ズボンを履いているイメージがあったんですが、戦争中の名残だったようです。

③大人の服も色々制限があり、スーツのボタンは3個までで、カフスは無し。ポケットは3つまで、裾上げは禁止、裾口の広さは48㎝までと決められました。(裾上げ禁止って・・・うーん
女性の服装もしかり。伸縮性のあるウェストバンドは禁止。プリーツスカートも、ゴージャスなベルトも禁止 ハイヒールの高さは5㎝までとされました。

④グレービー・ストッキング
グレービーとはこれ↓ 肉を焼いたときに出る汁と脂です。

どこも大変だったようです

ストッキングも配給制で、手に入らない時、女性たちはグレービーソースを足に塗り、腿、ふくらはぎに線を書いて、縫い目に見せかけていたようです。

どこも大変だったようです

他の方法として、玉ねぎの皮の煮汁を塗ったり、または日焼けして、ストッキングを履いているように見せかけた人もいたとか。涙ぐましい努力です。うぅ~


結局、かの大英帝国も戦争中は「欲しがりません 勝つまでは」だったわけです。汗
尚、英国の配給制は1952年まで続いたとのこと。

さて、このHorrible Historiesシリーズで、『Woeful Second World War』というものもありまして、そこにも興味深い記述がありました。
なんと、英国も米国も、「デパートメント・オブ・ライアーズ」があったとのこと。目
ざっくり言うと、嘘つき担当部署ですね。
で、何をしていたかというと、不都合な真実は国民に伏せて、嘘情報を国外のジャーナリストなどを使って流したり、または対戦国のネガティブキャンペーンをしたりしていたそうです。
例えば、日本軍の捕虜になった兵士を装って、家族にハガキを出し、そこに切手を剥がすよう促す言葉を書き、その家族が切手を剥がしてみると「日本軍に舌を切られた」とのシークレット・メッセージがあったとか。かお
そんなの見たら「日本軍って、日本人って、なんて残虐な民族」と思うでしょう。
まぁ、それが狙いなわけなんですが、実は捕虜からの手紙は、切手は不要だったそうです。・・・
「そこまでせんでも・・・」と思いませんか?でも、アメリカも必死だったんですねぇ。
戦争遂行のために、「国債を買いましょう」と終戦近くまで国民に呼びかけているようですしね。

最後に、この本を基に作られた同名のコメディ番組で、戦時下のベルリン動物園の虎やゴリラ、サイの肉がベルリン市民によって食べられたそうです。ガーン
ドイツも食糧難で、捕虜ソ連兵に十分な食事を与えられなかったそうですし、ある捕虜収容所では、生きた野良犬を、飢えたソ連兵に与えていたところがあったとか。ぎゃー!!


テレビや新聞で語られる戦争の話といえば、やたら「日本は物不足、食料不足で戦争できる状態ではなかった」とか、「大本営は国民に嘘をついていた」とかですよね。
でも、こうやって比較してみると、どこも似たり寄ったりで、どこも必死だったんですね。…





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