人間、厄介な事はなるべく避けたいものです。
特に日本人は争いを避けようと、相手に譲歩したり、「こちらさえ我慢すれば」と事を荒立てないようにしてきました。
それは日本国内、日本人相手にはそれで良かったかもしれませんが、外国人相手には通用せず、解決するどころか、さらに状況を悪化させてしまうことがあります。

今月9日、ユネスコは中国が申請した「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録しました。
もう、ねぇ、ショックで、脱力しました。がくっ

ところで、一言、南京(虐殺)事件といっても、近現代では4回ほど起きてまして、時代を遡ればもっとあるそうです。(詳しく知りたい方はこちら をご覧ください)
世間一般で知られる南京事件(所謂南京大虐殺)は、1937(昭和12)年12月13日、旧日本軍による南京攻略戦時と、その後約6週間に亘って捕虜や市民を虐殺、強姦、略奪をしたと言われています。
犠牲者は現在30万人。時代が進めばもっと数が増えるでしょう。
え?なんでかって?日中戦争の犠牲者数は中国人民の感情に比例するからです。かお

さて、南京攻略戦が始まる頃の南京城内の人口は約20万。南京城内の安全区を設け、そこに避難させました。
それ以外は南京城外の村に避難した者も多かったとか。
おかしいですね?ん? 人口約20万いて、犠牲者は30万って・・・。
そして、攻略戦後、翌月には人口が25万に増えています。
???いやぁ、市民全滅させといて、翌月には25万人って・・・。しかも掃討作戦続いてたところに、一般市民が戻ってくるでしょうか?
で、12月17日には松井大将を先頭として入城式が行われ、翌日には慰霊祭も行われていています。もちろんそこには従軍記者やら、カメラマンやら現場にいたんですが、関係者証言では誰も大量の虐殺死体を見ていないんですよね。
これもおかしいですね?はてな 大量の死体を埋葬するにしても、焼くにしても1日、2日では無理でしょう。
ちなみに大量の死体があると、そのあと怖いのが伝染病。埋葬では心もとないです。
では火葬となると、大量の燃料がいるし、旧日本軍はそんなリッチじゃありませんでした。
また、大量の死体を焼くとなると、爆発する恐れがあります。人の体には脂肪がありますし、ガスが溜まりますので。そして臭い。
でもそんな証言が出てこない。?
証言というと、中国政府認定の被害者、遺族による証言なんですよねぇ。
今回登録されたという日記も、裏付けが取られたものなんでしょうか。顔
南京安全区国際委員会委員長のジョン・ラーベやミニー・ヴォートリン女史も日記を残していますが、そこに記されている日本兵による非人道的行為はすべて伝聞で、当人たちが目撃したものではないとのこと。それでは証拠にならんでしょう。汗

こちらの写真をご覧ください。↓

もう「嫌だ嫌だ」で避けられなくなりました

1937年12月15日に南京城内中山北路の安全区付近の水餃子の露店で撮られたものだとか。
この方、日本兵のお客様第一号らしいです。
どこをどう見ても掃討作戦中じゃぁないんですけど・・・
ほのぼのしてるし・・・汗

ユネスコはどこをどう審査して、南京大虐殺文書とやらを登録したんでしょうね。イライラ
なんでもその審査会には歴史学者はおらず、資料が本物なのかもわからず、また重要ではないと・・・。
かおそれって、作り話でも「真実」として、人類の記録として残っていくということですよね。……。
信じられません。ユネスコがそんな事するなんて!
その程度なの?ユネスコって?ムキッ
これを放っておくわけにはいきません!
そして、世の中大したもので、ちゃっちゃと行動に移した方もいらっしゃいます。

もう「嫌だ嫌だ」で避けられなくなりました

署名サイトchange.org “ユネスコ「南京大虐殺文書」の世界遺産登録、取り消しを求めます。” です。
現在の目標署名数は5,000となっていますが、できればその倍を目指したいとのこと。
いやぁ、倍どころか10倍、20倍欲しいですね。
まだ署名してない方、是非、署名にご協力ください!お願い

この署名を出しただけで、ユネスコが何かしらの動きを見せるかどうかはわかりません。
でも、証拠にならないような資料を人類の記録・記憶として世界遺産として登録することは許されません。許してはなりません!きっぱり


「歴史のことはよくわからない」
「被害者があったと言うんだから、あったんでしょ?」
「日本は悪いことしたんだから、中国に謝らなきゃ」
「こちらが真摯に反省すれば・・・。ことを荒立てず・・・。穏便に・・・。」
そうやって、目を瞑り、耳を塞ぎ、口を閉じ、譲歩に譲歩を重ねて“平和的に”対応してきましたが、関係改善どころか、悪化の一途。
争いたくはなくても、向うから仕掛けてきた「歴史戦」は、もう嫌だ嫌だで避けられるものではないようです。
総理も歴史問題を、政治や外交の場に持ち込むべきではないとおっしゃっていましたが、相手が常に持ち出してくるなら、こちらもこちらのやり方で、応戦するしかないと思います。

最後に、グーグルイメージで、「1937年 南京」でヒットした写真をご覧ください。

もう「嫌だ嫌だ」避けられなくなりました

爽やかな笑顔の日本兵と、屈託のない笑顔の中国人の子供たち。きらきら
本当に戦争してたの?と思ってしまいます。
当時、実際に日本兵と接した中国人の話では「日本兵は礼儀正しかった」とか「子供たちによく飴をあげていた」とか、中には「大きくなったら富士山を見に日本においでと言われ、飴をもらった」なんていうのもあります。uru*
日本兵を完全無欠の紳士と持ち上げるつもりはありません。
戦友を失い、戦闘に疲れ、極限状態に置かれたら“異常行動”を起こす人は必ずいます。
それが戦争だと思います。
南京でも、捕虜刺殺の現場を見た日本軍将校がいますし、強姦の現場を押さえ憲兵に引き渡したという証言もあります。
ただ、それが南京全体で起きたわけではないのは、2枚の写真を見るだけでも推察できます。
20万も30万も殺し、殺されてるなら、上の写真は撮れません。


たぶん大部分の日本人は、南京事件のことを学校で教わっていないと思いますし、戦争の話なんて聞きたくないという人も多いでしょう。
でも、実は悲惨な話ばかりではないのです。
まずは何があったのか、日本軍はどう戦ったのか、当時の中国はどんな状況だったのかを知るところから始めましょう。




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