《命をどう使うか》 

12~3年前に我が家に着たアメ留学生が「侍」マニアで日本大好きな大学生だった。

 結構、日本語も達者で家にいる時は冬なのに自前の浴衣を着る人だった。

 夕食の時、太平洋戦争の話になって浴衣外人が特攻隊について

「特攻隊の人は死にたかったんじゃなくて親、兄弟を守るため死ぬのは嫌だったけど死を選んだんですよね」

って質問してきた。

 家族全員、どう答えていいかわからず黙っていたら、祖父が、

「嫌だの死を選択したのだのとかじゃないんだよ。命をどう使うか考えた末の事なんだよ」

と浴衣外人に話した。

あまり、口数が多くない祖父だったし、記憶が定かではないけど、ほとんど家にホームステーイに着たアメ留学生とも会話してなかったが祖父の言動にちょっと戸惑ったけど、 何かを感じたのかごはん食べながら泣いていて、次の日から帰るまで、祖父べったりになった。

 俺はちょっと嫉妬したけど、帰る間際に親日を誇っていた彼が

「日本の心に少し近づいたような気がします」

と言い残して帰って行った。

その浴衣外人から祖父の命日に毎年はがきが来て、祖父が言った言葉をつたない日本語で書いてくる。

「命はどう使うかが大切」

この文章が一昨日届いた。

 胸が熱くなったので投下した。反省はしない。

  ※動画を貼っていましたが、アカウントごと削除されたため、もとの2chの書き込みに変えました。


このアメリカ人留学生の気持ちが何となくですが、わかります。
ということは、私も知ってるつもりで、そうでもなかったってことですね・・・汗

もう随分前に『知覧特別特攻隊』という本を買ったんです。
ですが、いまだに全部読みきれていません。
だって・・・泣けて泣けて。号泣  
半分くらい(もしくはそれ以下)しか読んでいませんが、特に印象に残ったのが、相花少尉のお母様宛の遺書。
命をどう使うか 
「母を慕いて」

母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言へ世の此の種の母にある如き不祥事は一度たりとてなく慈しみ育て下されし母
有難い母
尊い母

俺は幸福だった
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん
お母さん
お母さんと


この遺書を読まれたお母様は、どんなお気持ちだったかと想像するだけで泣けます。
他の遺書も、家族を想う気持ちが痛いほど伝わって、涙を止めることができません。

戦後一貫して学校において平和学習が行われてきましたが、自分の記憶では戦争の悲惨さ、特に原爆の悲惨さを強調した教育だったように覚えています。あとは終戦記念日前後の終戦関連のドラマとか、ドキュメンタリーで情報を補足してきましたが、従軍した方の視点、どんな思いで戦ったかとか、家族への想いなどを描いたものがなかった(もしくは少なかった)ような気がします。
日本の平和教育は、「相手(特にアメリカ)を恨むな」ですよね。その点は良いと思いますが、根底に「戦争を始めた日本が悪い」があり、それを今でも多くの人が信じています。
これって戦後ずーっとウォー・ギルト・インフォメーション・プラグラム(WGIP) という、GHQの占領統治政策の一環である思想教育を、主権回復後もずーっと続けてきたということですよね。ムム…  なんて従順な国民なんでしょう、日本人って。まるで羊の群れ・・・。…

本当の平和学習というなら、本当に歴史を振り返るのなら、戦争の悲惨さだけでなく、一日本兵が何を想い、どう戦ったかも学ぶべきではないでしょうか。

まだ少数ですが、修学旅行先に特攻資料館を選ぶ学校もあるようです。中には荒れた学校が、特攻隊員のことを調べていくうちに、明らかに学生たちが変わっていったところもあるとか。今も昔も変わらない、家族を想う姿に何かを感じ取ったのではないでしょうか。
命をどう使うかを学ぶことは、「どう生きるか。どう生きるべきか。」を自ら見つけ出すことにつながると思うのです。

戦争の話は辛く悲しいものですが、目を逸らしても過去を変えることはできません。
変えることはできないけど、そこから学び取ることはできます。
より良い日本になるために語り継ぎ、未来へつなげていけば、約230万柱の英霊は報われるのではないでしょうか。




人気ブログランキングへ

新編 知覧特別攻撃隊/高岡修
¥1,028
Amazon.co.jp