異国にあって想うもの:それは日本の食べ物

皆さん、おせちば ほういっぴゃぁ食べなはったかいた?(熊本県南弁で「おせちを沢山食べましたか?」)

今年の私のおせち料理は、紅白なますと鯖寿司でございました。それからローストダック。アヒル

アイルランドは在留の日本人自体が少なく、ましてや私、地方在住ですので、買える日本の食材は限られてきます。

まぁ、現代は便利な郵便システムのお陰で日本から送ってもらうこともできますが、望むもの総てが郵送できる訳でもなく・・・。

そして、ある時突然「あぁ、○○が食べた~い!」となることが・・・汗

それはだいたい旬の食べ物とか輸送が難しいものが多いです。秋刀魚とか、ぶりとかカンパチとか、甘エビとか、イチゴとか、日本のアイスとか、和菓子とか・・・。日本から送れないものばかり。…

流石に国際クール便はありませんので仕方ないですね。はい?

しかもここコークで手に入る日本の食材も中国産だったり韓国産だったり・・・汗 中国産は毒入り○○やら消費期限切れのものやらがありましたし、韓国産は虫が入っていたとか、発がん性物質が入っていたとか巷のニュースでありましたので極力買わないようにしてますが、背に腹は代えられないこともあります。

こんな時はジャパン・センターがあるロンドンに住みたい!と思ってしまいます。


アイルランドに住んで既に7年。住み始めの頃より日本の食材の種類が増えたんですが、まだまだです。なーんか、いつも日本の食べ物のこと考えている自分がいます。じゅるじゅる


さて、先月アマゾンから購入した単行本の文中に、訪日や滞日した外国人が異国の食べ物に不満を表す記述があって、「あー、何となくわかるわぁ、その気持ち!」と大いに共感しました。ちなみに、現代日本ではなく、舞台は140~150年前の日本ですので、あしからず。

少しご紹介します。


日本学者として有名なバジル・ホール・チェンバレンは30年余滞日した方なんですが、訪日初期は日本の食べ物に不満たらたらだったようです。


(ここから抜粋)

「日本料理は、ヨーロッパ人の味覚をとうてい満足させることができない。(略)肉もなく、牛乳もなく、パンもなく、バターもなく、ジャムもなく、コーヒーもなく、サラダもなければ、よく料理した野菜の十分な量もない。いかなる種類のプリンもなく、とろ火で煮た果物もなく、新鮮な果物も比較的少ない。」日本事物誌)

(中略)

さらにチェンバレンは同書で「食物はきれいさっぱりとして油気がなく、眺めると綺麗なほどである。しかし、これを食べて生きてゆかねばならないとすると―とても駄目である。」とも述べており、悲嘆にくれている様子が伝わってくる。

(ここまで抜粋)


日本研究の第一人者のチェンバレン教授も日本の食生活に「とても駄目である」と悲嘆にくれたんだと思うと「あぁ、こんな偉い人も“人間”なんだな」と変な親近感が湧きました。苦笑

まぁ、私の言葉をこれに当てはめると

「アイルランド料理は、日本人の味覚をとうてい満足させることができない。肉は硬く、牛乳は薄く、パンの種類が少なく、生卵は食べられない。野菜は大きいがあまり美味しくない。また新鮮な果物はあるが不味い。日本同様四方海に囲まれているが、売られている魚の種類が少なく、刺身で食せる種類は限られてくる。」

「食べ物は油気が多く、一皿に盛られることもあり見た目が悪いものがある。これを食べて生きてゆかねばならないとすると―とても駄目である。」

こんな感じでしょうか。


けれどチェンバレン教授は30年余り日本に住んだので、当時の日本の食生活に慣れたのか、諦めたのか、とにかく克服されたんでしょう。できるかなぁ、私に・・・うーん


それからもう一方。大森貝塚発見で有名な動物学者、エドワード・シルベスター・モース博士の素直な告白にも共感できました。


(ここから抜粋)

「ここ二週間、私は米と薩摩芋と茄子と魚ばかり食って生きている」と自嘲し、「君たちが米国でたのしみつつあるうまい料理の一皿を手に入れることが出来れば、古靴はおろか、新しい靴を皆やってしまってもいい」と書いている。(日本その日その日)

西洋料理が恋しくて恋しくて仕方なかったのだろう。

(ここまで抜粋)


コークに住み始めた頃は正に「ジャガイモとキャベツとベーコンと鶏肉ばかり食って生きて」いました。和食が恋しくて恋しくて仕方ありませんでした。

実はコークに住み始めて暫くは主人と同じ食事をとっていました。けれど、なんとなく疲れやすくなり、一日中だるくてしかたなかったんです。そして、はたと気づきました。肉中心の食事が私には合わないんだと。

それからというもの主人にはアイルランド料理、私は和食という2wayの日を設けるようにしました。

ただし、自分が望む日本の食材総ては手に入りませんので、諦めないと駄目な日本料理もあります。ξ


海外の反応をみると、いまや和食や洋食風にアレンジされた料理は高い評価を得ていますし、中には「日本の食べ物にハズレはない」という外国人もいますが、幕末や明治は真逆の評価だったんですね。で、現代日本人が海外での食事のまずさ、食材の少なさを嘆く時代になってしまったという・・・あはは・・・


でも、まぁ、救いは日本の食材の種類が7年前に比べて確実に増えていっているということ。

そしてアマゾンや楽天からチューブ入りや真空パックの日本の食材が買えるし、昔の人たちの苦労を考えると贅沢は言っていられません。

あぁ、でも、やっぱり、カンパチ食べた~い。ブリ食べた~い。数の子食べた~い。嘆

                                                       (Mrs.G)




日本は外国人にどう見られていたか (知的生きかた文庫)/「ニッポン再発見」倶楽部
¥価格不明
Amazon.co.jp

※↑価格不明となっていますが、本体価格は590円+税です。
外国人の目を通してみた幕末・明治の日本と日本人の姿が垣間見れる本です。
ただし、紙面の都合からか解説が片手落ちな箇所があります。
たとえば、武士の「斬捨て御免」の権利にふれ、もし庶民に無礼があれば武士はこれを斬捨てる特権があったため、庶民は反抗できなかった、と書かれています。しかし、実際に斬捨てた場合、武士は速やかに届出をし、証拠物品の提出、本人は謹慎し、親族や家人は目撃証人探しをして、斬捨てに値したことを証明しなくてはならず、出来ない場合は殺人罪になり、本人は斬首、家は取り潰され、財産没収となるため、ほとんど「行使できない特権」でしたし、それを知っていた町民は度々武士を挑発していました。
また、江戸時代の刑の残虐性を取り上げるために「鋸挽き」が挙げられていますが、江戸時代には形骸化していて、元禄期に通行人が実際に罪人の首に鋸をあてようとしたため、役人が慌ててとめたそうですし、その一件以降、監視の役人が立つようになったとも。
このように、所々片手落ちな箇所はありますが、江戸・明治時代どのようにご先祖達が暮らしていたかがわかり、日本再発見のきっかけになる本ではあります。興味がある方はどうぞ一読ください。



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