東日本大震災の記憶
東日本大震災の記憶は、悲しいし忘れたいそれを覚えていなければならないと、部外者がしたたかに語るのは暴力的だ知りたい人が主体的に知ればそれでいいと思う私は関東の埋め立て地に住んでいます。私が体験したことを以下記していきます。読みたくない人は、そっとブラウザを閉じてください。ただの早帰りの日だった。生徒は部活に汗を流すか、下校時間だった。日直だった私は陸上部に遅刻せざるを得ず、思いのほか仕事が長引いたせいで学校の三階の廊下を走っていた。その時はめまいがしたのかと思った。遠くから地震だ地震だと大声で叫んでいる日直の仲間がいた。間髪入れずUターンして教室へ戻り、机の下にもぐった。まるでジェットコースターで揺さぶられているみたいだった。夢かと思った。おもわず死なない、死なない、死なない、とまわりにも聞こえるように唱えた。数学の先生が入ってきた。地震が収まると校庭が何やら騒がしい。先生がベランダに出て、嘘だろう、とつぶやいた。私もつられてベランダへ足を踏み入れ、上から校庭を見下ろした。私はその瞬間を確かに見たのだった。校庭が大きく地割れして、その間から黒い水が嘘みたいに勢いよく噴出したどっちを向いても濁流だらけで、生徒は当然ながらパニックに陥っていた私は泣かなかったけれど、見渡す限り女友達は泣いていた何と戦っているのかわからないけれど、なんとなく泣いたら本当に負けだと思った泣いたって水が止まるわけないんだとひねくれた考えを持っていたのかもしれない夜には綺麗な月がため池と化した校庭に映った生徒が投げ出したサッカーボールとジャベリックスロー(簡易的なやり投げの道具)を照らし出していたのが不気味だったもちろん命を左右される体験じゃない、東北に比べたら被災地という呼称を使うことすら危ぶまれる建物は壊れたら直せばいい、道路だって電線だって自治体が費用を保障して修繕すればいい電気や水道が使えなくても、自衛隊が機能している限り死ぬことはないけれど、それまで何も考えす遊んでいた、授業を受けていた自分の学校の校庭がまるでCGのように黒い水に覆われていくのは、昇降口の前が隆起していくのは、電柱が傾いていくのは、道に大きな亀裂が入るのは、マンホールが飛び出すのは、中学一年生の私にとって鮮烈で衝撃的だった。以上